見出し画像

「テリトーリオ」から考える、地域主義と建築デザイン____『都市のルネサンス―イタリア社会の底力』を読んで____


1.   移ろう石の都市

「テリトーリオ」とは“都市と周辺の田園や農村が密接に繋がり、支え合って共通の経済・文化のアイデンティティをもち、個性を発揮してきたそのまとまり”1) であるという。柔らかく輪郭の曖昧な響きのこのイタリア語は、行政区域ごとの縦割りで型どおりの地方創生を行うのではなく、経済・文化のまとまりに注目して地域を定義することで、新たな振興の方針が見えてくるのではないか、という提案としても受け止められる。そして、建築デザインの分野においても、誰が望んでいるのか分からないお仕着せの「地域らしさ」と、ジェネリックな最大公約数のデザインとの、その2択ではない可能性をこの言葉が提示してくれているように感じた。その可能性とは一体何か、考えてみたいと思う。
 
私が「テリトーリオ」という言葉を知ったのは、『都市のルネサンス ―イタリア社会の底力』1) の中である。この本は筆者の陣内秀信氏によるイタリア各都市での都市調査のレポートを通して、「都市と建築を読む」ための手法を分かりやすく紹介しながら、各都市に住む人々の生活や、気質文化などを含む総合的なイタリアの「都市」の記録である。建築都市の調査分析に軸足を置きつつも、歴史の教科書的に様式を追うのではなく、例えば、水の都ヴェネチアでは、都市を彩るための建築計画の技や、観光との共存など、現代でも共有できる話題を盛り込んで生き生きとした都市を描き出している。クライマックスとなるボローニャの保存再生活動の紹介では、「保存は革命である」という、エキセントリックにも思えるスローガンが出てくる。歴史的街区の保存にあたって、新築を含む大胆な改修を行い、不動産需要を喚起するのだが、同時に低所得者の既存住民にも同じ土地での住居を用意することによって、住民の生活感のある街並みを維持し、観光地としての魅力を引き出すダイナミックなもので、まさに革命であり、本書を通して描写される活き活きとした都市生活の姿もあいまって、とても説得力のある内容となっている。

実は、この本は1978年に新書として出版され、2001年に文庫版での復刊を経て、2021年に増補新装版として出版されたもので、40年以上経った今でも現代的な問題提起を含む内容に驚かされる(そのことは、あるいは日本の都市問題の停滞を表しているのかもしれない)。1978年の出版時のあとがきでは、“本書のタイトルは(中略)混乱に陥っている日本の都市が何とかなってほしい、という願望もこもっている。”2) と述べられているように、出版当初から、イタリア諸都市の試みが日本の都市の参考になるのではないか、という思いが込められている。「テリトーリオ」という言葉は2021年の増補新装版あとがき『時代はテリトーリオへ』にて、近年のイタリア諸都市の復興を報告する中で初めて紹介されており、“地方ごとの多様性を誇るイタリアの底力の復活を意味する”3) 言葉であるという。
実は、出版時のあとがきを読んだ時には、紀元前から続く石の文化のイタリア都市の事例が、果たして日本の参考になるのだろうかという疑問があったのだが、「テリトーリオ」という言葉を知ることで、可能性を感じることができた。石の都市は堅牢に歴史を伝えているかに思っていたが、文中で細やかに紹介されるヴェネチア建築の来歴を見ていくと、中世からルネサンス、バロックと、時代によって移り変わり、少しづつ改変されてきた一面が見えてくる。テリトーリオとは、そんな移ろいをも包摂する言葉であり、地域主義を単純なアイデンティティの醸成といった役割から解き放つ言葉なのかもしれない。

2.地域固有の建築デザインは誰が望むのか

少し後戻りになるが、地域固有の建築デザインについて考えて行くにあたって、ここで私なりに論点を整理したいと思う。先に、“誰が望んでいるのか分からない”と書いたが、実際、その土地に合わせた建築表現というものはコストをかけて作り出す必要があるのだろうか。街に暮らす人にとって、地域の街並みというのはどの様なメリットをもたらすものなのだろうか。私が住む富山県富山市の編集者・ライターで、東京から富山にUターンした藤井聡子さんの著書『どこにでもあるどこかになる前に』4)という本がある。私自身が同世代で移住時期も近く、藤井さんがエッセイの中で「地元」との関係を試行錯誤される等身大の姿には大変な臨場感があり、息をのむような気持で拝読した。その中で常に対比させられるのは「どこにでもあるどこか」のように標準化されていく街並みと、それでも生き生きと街を生きる住民達の姿である。それを象徴するのが、富山で活動する筆者の編集者仲間アコタンこと居場梓さんの言葉である。

“アコタンもまた平たくなる富山の街並みに危機感を抱いていた。「個人的には、新しい富山にそれほどの意味はない。だってそれは模倣でしかないから。もっと地場のソウルを感じたいんよ!」”

5)

また、筆者の敬愛する街に根差した映像作家、島倉和幸さんは言う。

“「食堂街がなくなっても、大将と俺たち客さえいればいい、結局、店は人が作るもんじゃないけ?」”

6)

もはや建物や街並みに何も期待されておらず、建築家としてはがっくりと膝を落とすべきかもしれない。しかし、これが住民としての実感かなと私自身も思う。街は街並みが作るものではなく、街並みに個性があるからと言って個性ある街になる訳でもないなと、妙に得心させられてしまった。
同じようなことを感じたことがある。それはNHKによる双葉町のドキュメンタリー7) で、避難によりバラバラになった住民達を追ったものである。双葉町では町の姿を一変させてしまうような大規模な再開発が計画されており、その可否を問うような町長のインタビューもあるのだが、終盤に紹介される「ダルマ市」によって、その問題提起が圧倒されてしまったように感じた。元々双葉町で開催されていたお祭りである「ダルマ市」を、元住民達が復活した際の様子が紹介されていたのだが、再会を喜ぶ住民達の姿には、再開発で町の姿が全く変わってしまっても、ダルマ市さえあれば大丈夫なのではないか、と思わせる力があった。そしてもし私が元町民だったら、再開発について時間を割くよりも、ダルマ市に参加して旧知を温めた方が、地元から得るものは多いだろう。
建築設計においても、2000年代から公共的な建築物の計画の際には住民やユーザーの声を拾い上げる試みは始まっていた。最近ではリノベーションスクール8) に象徴されるように、事業計画から事業主と並走する建築家もいる。建築作品の発表の場においても、建築の建つ動機や背景、つまりストーリーやコンテクストが、その建築の価値として紹介されることが非常に多くなってきた。
 
一方で、ストーリー性のある場所やハイコンテクストなコミュニティの場は、閉鎖性と紙一重であることも事実である。もちろんそういったコミュニティが、場所と結びついて拠り所となっていることは素晴らしいことだし、そういう場所が多い方が魅力的な都市だと思える。必ずしも閉鎖性が悪いと言っている訳ではない。ただ、そんな手塩にかけられた「場」も都市の一側面であるという認識は共有したいと思う。家族や会社のコミュニティから離れて安心して一人になれる場所や、誰に迎えられる訳でもないけど地元に戻ってきたなと感じられる場所、そしてちょっと離れた位置から自分の日常を見返す場所、そんな余白も都市には必要だと思う。祭りは大事だけれど、祭りだけでは息苦しい。そして、人間関係の余白ともいえるその場所は、物言わぬハードだからこそ支えることができるのではないだろうか。
冒頭の問いかけに答えるとすれば、現代に求められる地域固有の建築デザインとは、地域を象徴する主役として望まれるものではなく、街を構成する人間社会の狭間にある「余白」の寄る辺なさ、不安定さにそっと手を添えるような、脇役としての地域表現ではないだろうか。

3.身近な他者としての地域性

『都市のルネサンス』の新書版が出版された20世紀後半、建築デザインの分野では、地域性を取り入れるリージョナリズムが議論された9)。ケネス・フランプトンの「批判的地域主義」に代表される当時の議論では、インターナショナリズムの対義語としての素朴な地域主義から発展し、地域の個別性を持ちつつ科学技術と連携することや、写真などの視覚的メディアに対して触覚の復権を主張するなど、普遍性との合体が議論されていた。それから40年後の現代では、グローバル化が圧倒的となって世界規模で建材が流通し、グローバル/ローカルという問題設定が成立しない程に非対称性が拡大してしまった。また、経済的に弱体化する日本では建設費や維持費が設計の最も大きな懸案事項となった。この状況下で、80年代に議論されたような普遍性を接ぎ木して地域性を存命させる手法は、建設費や工期に恵まれた幸せなプロジェクトか、後期資本主義10) に接続しないと、論理的にも実務的にも成し得ない、特殊な方法となってきた。
 
一方、建築史家の五十嵐太郎氏は、同じ80年代の地域主義の議論の中で、ケネス・フランプトンの主張と類似しながらも微妙に異なる論理としてツォニスとルフェーブルの「批判的地域主義」を紹介している。

“ツォニスとルフェーブルの批判的地域主義は、地域主義自体について懐疑を抱き、自己反省的である。(中略)なかばショック療法のように場所の異化作用を狙う。(中略)わかりやすい地域主義は、ハリウッド映画のごとく地域性や歴史性を一元的に還元してしまい、そのステレオタイプイメージは他の可能性を抹殺するがゆえに、全体主義的だ。(中略)これに抵抗する地域主義は、差異をはらんでおり、常に更新されるものなのだ。”

11)

地域を異化するものとしての地域主義である。普遍性に接続するのではなく、たまたまそこにあり、そして変化していく地域性のもつ特殊性に着目する方法だろう。この効果を狙うのであれば、まだ建築デザインに地域性を取り入れる可能性があるのではないだろうか。
建築物のデザインではないが、まさに上記のような異化作用をもたらす事例がある。モノノメという雑誌の『都道府県再編計画 日本列島(再)改造試論』12) という記事である。タイトル通り、行政区域を問い直す鼎談となっており、記事中には実際に再編を試みた図が掲載されている。私は富山県に住んでいるが、富山県の過半が石川県と合体し、富山県自体は消失した「金沢県」の地図を見る時、県民としては少なからずウッとなる。責任編集者である宇野常寛氏の言葉を借りるなら、この地図によって「傷つけられ、そして変化する」訳である。ただ傷つけられるのではなく、細かく見ていくと住民の帰属意識や人の流れ、地形や歴史を考慮して地図の線が引かれていることが分かり、現行の富山県に対する見方が変化するのである。似たような効果は、まちづくり手法である「エリアマネジメント」でも得られるのではないだろうか。地区町村に囚われずエリアを定義し、隣接エリアとの関係を整理する、マネジメント以前の作業も、価値あるものになるのではないだろうか。

さて、お気づきかと思うが、この「金沢県」(他に「南部県」「北九州県」などが掲載されている…)こそ、冒頭に挙げた「支え合って共通の経済・文化のアイデンティティ」をもつ、テリトーリオの考え方によるものだろう。そして、私が感じた「テリトーリオ」という言葉の可能性とは、まさにこの異化作用をデザインに応用することができないだろうか、ということなのである。
 例えば「わが街」「わが地域」という言葉を「わがテリトーリオ」と言い直してみた時、前者は、会社や家族や学校などのコミュニティと一緒に想起され、仕事や消費や育児が緊密に組みあがり、動かし難い総体として感じられるのではないだろうか。それに対して「わがテリトーリオ」という言葉は定義が曖昧で主観的であり、「仕事する私のテリトーリオ」「育児する私のテリトーリオ」といった風にそれぞれのシーンに合わせて自由に重なり合う語感があり、地域に暮らすことの宿命感や閉塞感を払拭しているのではないだろうか。行政区域や一定の地域に加えて、様々なテリトリーが重なっているイメージである。
それと同じように、例えば敷地前を通る道の景観に配慮して建築物をデザインすることは、地域の人間関係や利害関係とは関係が無いけれど、地元のコミュニティに入り込まず、‟ただ“住んでいる人でも分かるローコンテクストな表現になるだろう。この場合、景観に配慮したデザインは街の人間関係に関係なく重なる異物として、身近な他者・異物の表現として機能できるのではないだろうか。地域性を異物として理解することで、地元との距離感を調整するのである。一方で、全く地域と関連しない完全なる異物にしてしまった場合には異化作用は起こらず、街並みに与える威力に無自覚なまま、なんとなく古びてしまうのではないだろうか。
他にも、地元産の小径木を利用したり、地元ならではの施設の利用方法をプランに反映する、といったようなことでも良いかもしれない。敷地を取り巻く大小様々なテリトーリオを、建築というフィルターを通した上で重ね合わせて行くことで、地域と付かず離れずの距離を保った建築デザインにすることができるのではないだろうか。その地域を象徴し、一体感を得るために地域性を取り入れるのではなく、地域との距離を測るために取り入れるのである。唐突なデザインだと遠すぎて距離を測れないし、周囲と全く同質なものを作っても距離は生まれない。

4.建築がつなぐ、人とまちの時間

もう少しだけ、建築デザインにおける地域性について語らせて欲しい。公共建築ではない個人の住宅であっても、その配置や外観については多少なりとも公共性をもってしまう。ほとんど使われていない建物が、解体の段階になって地元からの反対意見が出るのも一部はそういった公共性によるものだろう。そして、日本の建築の寿命は相対的には短いけれども、建て主の人生を越えて建築が残る場合も多い。その場合には、建築が建った時のストーリーには関係なく、その公共性が発揮されることになる。都市の長い時間と人間の短い時間。建築はその2つをつなぐことができる。私はその、建築が伝えるまちの時間というものが、思いの外、重要なものだと思っている。
 
もしヴェネチアに住んでいたら、日々、歴史を感じないことは不可能だろう。家の前の石畳は少なくとも数百年に渡って、数えきれないほどの商人が、職人が、観光客が踏んできたもので、個人の信条よりもコミュニティの人間関係よりも大きな(永い)存在である。自分の人生を越えた時間を意識させるものが身近にあることは、ちっぽけな自分の今生を相対化するという意味で豊かなことだと思う。もちろん、日本ではそんな石畳を見つけるのは難しいし、年輪を刻んだ屋久杉の厚板を持ってくるのはお金がかかる。しかし、地域が刻んできたリズムやカラーを建築デザインに取り入れることができれば、周辺環境が経てきた時間を、建築に取り入れることができるのではないだろうか。先ほどは距離を測る話をしたが、同じような効果は時間軸でも言うことができるのだ。
 
現代に求められる地域性を取り入れたデザインとは、地域を象徴するのではなく、以上のように地域の定義を表現することだと思う。「テリトーリオ」が表すような、移ろいゆく曖昧な地域性を拾い上げていくことは、「地域を象徴する」主役ではなく、余白や脇役のノイズとなり得るのではないだろうか。
また、最新の架構方法を用いて地域的な形を表現したり、「本物」の素材を多用した、大鉈をふるっての地域的表現は社会的にも難しくなっていると感じる。それが許されないのであれば、もっとマイナーな方法で、そこにあるものを拾って活用するしかない。地域主義を重用することも、毛嫌いすることもせずに、一つのデザイン手法として、その効果を見定めて過不足なく取り入れる手腕が求められていると感じている。




1)『都市のルネサンス<増補新装版9>―イタリア社会の底力』陣内秀信、2021年、古小鳥舎、p248
2)註1同書『あとがき』1978年 p237
3) 『時代は「テリトーリオ」へ――「増補新装版あとがき」にかえて』2021年
「都市と周辺の田園や農村が密接に繋がり、支え合って共通の経済・文化のアイデンティティをもち、個性を発揮してきたそのまとまりを、イタリアでは「テリトーリオ」という。一般に領土と訳される英語のテリトリーとは概念が異なり、土地や土壌、景観、歴史、文化、伝統、生産、地域共同体など、様々な側面を合わせもつ一体のものなのだ。」p248、
4)『どこにでもあるどこかになる前に。―富山見聞逡巡記』藤井聡子 2019年 里山社
5)註4同書p131
6)註4同書p185
7)『それでも、故郷を残したい 原発事故12年 双葉町の再出発』NHKクローズアップ現代、2023年3月6日放送
8)リノベーションスクール 遊休不動産を対象として具体的な事業計画と空間を参加者が具体的に策定しながらリノベーションまちづくりを学ぶスクール
https://re-re-re-renovation.jp/schools/about
9)『批判的地域主義再考──コンテクスチュアリズム・反前衛・リアリズム』五十嵐太郎、1999年、『10+1』No.18,p205-2016
以降、1980年代前後の批判的地域主義に関する情報は上記論考によっている。本来であれば原典にあたり、もしくは複数の論考を検討すべきだが、業務の合間の時間を割いて、趣味として書いている筆者の事情をご考慮頂き、必要があれば各自事実関係をご確認頂きたい。
10)註9同論考より引用
 ‟(フレデリック)ジェイムソンが批判を試みるのは、この点だ(中略)20世紀後半のポスト・フォーディズムはマーケティングにより土地に固有な嗜好にあうよう製品を調整し、地元の文化を尊重する。(中略)「他ならぬ『地域的』なものが、グローバルなアメリカ的ディズニーランド関連企業の商売となり、それがあなた自身の土着の建築を、あなたの代わりに、あなた以上に正確に作り直してくれるのだ。(中略)リージョナリズムは後期資本主義の尖兵となってしまうのか?“
11) 註9同論考
12)『47都道府県 日本列島(再)改造試論』井上岳一×宇野常寛×田口友子、2022年、モノノメ#2

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?