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ひとは何のために日記を書くのだろう。

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2019-05-18

ひとは何のために日記を書くのだろう。

とりあえず、自分の日記は思考や感情の排泄だと考えようと思う。人間生きていれば、望むとも望まぬとも日々いろんなインプットがある。それを溜め込みすぎれば、心が便秘になりオナラのようにプスプスと愚痴を漏らしてしまうだろう。

さして自分に関係ない物事まで、いちいち気にしているのもまずい。心が下痢になりピーピーと消化不良の意見を撒き散らすだろう。しかも本当に大切なことも吸収できずに排出されてしまうかもしれない。

そこで、日記である。

日記で1日を反芻すると、地味だけど大切なこと、派手なだけのつまらぬこと、なぜか気になったことなど、いろいろ見えてくる。そこから必要なことを吸収し、不要なものは排出し、わからないことはまた反芻し、最後にプリッと出てくるもの。そんな頭と心の残りカスがわたしの日記だ💩

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2019-5-19

今日はプロの本気レシピでガトーショコラを焼いた。

各工程の意味が事細かに説明されていて、気が遠くなるほどに丁寧。それぞれの要素は単純。ただ全部をきっちり押さえるのが難しい。集中力を使い果たして朦朧とした意識に、チョコの焼ける香りが心地いい。

本質を体得するのは、大変だけど楽しい。

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2019-5-20

紫原明子さんの「家族無計画」を読んでいる。

起業家の家入一真さんとの結婚と離婚など、波乱万丈な生活の喜怒哀楽を描いたエッセイ集。思いどおりにならない人生に翻弄されつつも、誠実に向き合うことで打開していく彼女の生き様はときに清々しく、ときに可笑しい。

多くの女性が悩むであろう出産のタイミングについて「妊娠したら、産むことになったら、その時に自分の手元にある食材を目の前に並べてみて、最適な調理方法を走りながら考えていくしかない。」と結論づけるところが印象的。

ドラッカーは「未来を予測する最善の方法はそれを創ることだ」という。

夫婦や家族が「生活」という不断不休の事業を営む組織だとしたら、将来の予測に腐心することはどれだけの意味があるだろう。変化の激しい現代、ともに生きる人と人の間に必要なのは、堅実な計画ではなく、健全な経営ではないか。

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2019-5-21

今朝は雨がザーザーうるさくて、なかなか起きられなかった。

うるさくて起きられないとは矛盾しているようだが、激しい雨音には独特の圧迫感があって、まるで雨粒に押さえつけられたかのように全身が重くなる。とはいえ優しい雨音ならいいかというと、それはそれで眠気を誘うので起きられないだろう。

つまるところ、わたしは毎日だいたい眠い。

人生の3分の1以上を寝るためにつかい、さらに残りの15分の1くらいも眠い理由を探すために使っているかもしれない。

裁量労働制は寝坊が存在しないという点で理想的だとわりと本気で思う。わたしにとって重要なのは、働き方ではなく眠り方の改革である。

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2019-5-22

週末にかけて忙しくなるので、その前に美容室へ行く。

髪を切られている時間は絶好のもくもくタイムだが、今日はとくに捗らず。美容師さんがうるさかったわけではない。むしろ根暗は根暗なりに接客してくれるナイスなお兄さんだ。ただそんな日もあるという話。

先日から思考や感情の「排泄」として日記を書きはじめて、なかなか悪くないなと思っている。内面的な整理ができることは想像していたけど、自分のために書いた文章のほうが逆に他人からの反応もよかったりするのも面白い。

物事の価値は人と人の間に生まれる。誰かにとっては排泄物でも、それこそを求めていた!という誰かがいるから社会は回る。他者に価値を与えようとするより、よりよい排泄に集中したほうが幸せになれる人もいるかもしれない。

そんなことを考えたのは、夕食に酵母菌の排泄物をありがたく摂取したせいか。

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※この日記はTwitterでつぶやいた一週間分のネタをまとめたものです。


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塩田素也|かもすハウス
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