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#8 「浪人生に、人権はない。」の意味
僕は2浪した際に、非常に同意した言葉があった。
それは「浪人生に、人権はない。」という言葉だ。
浪人をしていないという人には、この言葉の意味をすぐ理解することはできないかもしれない。僕もかつては「人権ないは言い過ぎでしょ」と思っていた。
この言葉を僕なりに紐解くと、
ここでの「人権」というのは、「生活においての選択肢の多さ、そして選択できる自由さ」である。つまりは、浪人生にはそれがないというのである。
例えば、浪人生は遊ぶ権利はない。(と信じてしまうのである)
なぜなら、遊ぶ余裕があれば、その時間と労力を勉強に当てるべきであるし、そのためか、遊んでしまった後の罪悪感が大きいためだ。
また、浪人生は褒められる権利がない。
学生中だと、学期ごとに良い成績を取ったとか、あるテストで満点を取ったとかで親や先生に褒められるかもしれないが、浪人生は言わば、存在意義が「受験に合格すること」なので、一回のテストや一時期の成績で褒められることはできない。
つまり、どれだけ勉強して、どれだけ良い結果を出しても、受験に合格しなかったら意味ないわけで、そんな好成績は誰も見向きもせず、合格以外は褒められることはない。
簡単に言えば、浪人生の鏡というものは、生活を勉強一色にして、あらゆる欲望を押さえつけ忍耐する人のことだろう。
少なくとも僕はそう感じた。
もちろん、現実は少し違う。ちゃんと褒めてくれる人もいるし、遊ばない浪人生の方が少ないだろう。僕はこの価値観にとても苦しめられた人だったが、僕の周りには、そんなの気にしていないと思われる人も大勢いた。
けれども、ほとんどの浪人生は、この価値観に縛られてはいないものの、心のどこかで少しばかりは認識しているのだと思う。
今だったらもっと視野を広く持って考えることができたと思う。けれども、おそらくその時の僕は、「視野が狭い」と指摘されたとしても、そこから抜け出すことは不可能だったと思う。
受験というか、とある価値観によって縛られる競争社会って本当に恐ろしいとつくづく思う。