映画は文化の博物館
映画「リトル・ダンサー」デジタルリマスター版を観たのだが、映画の中で主人公の少年がレコードをかけるシーンがある。
黒い円盤のレコードに針をそっとのせるのだが、このシーンを見た瞬間に
「今の若者にはこれが何かわかるのかな。」と思った。
「レコードをかける」と書いたが、平成世代の人にはこの意味もわからないかもしれない。今や音楽はスマホで気軽に聴く時代である。
黒い円盤をそっと傷がつかないように両手で大事に持ち、プレーヤーにのせて針をそっと落とす。うっかり違う場所に針を置いて傷がついたらレコードが台無しになる。同じ曲を繰り替えし聴くと針が何度もその部分を動くことになり、音が変わってくる。
映画で主人公の兄が弟が勝手に自分のレコードを聴いたと怒ったのはこういうことだ。
2000年製作の映画だが、時代は1984年設定なので40年前の話になる。
たった40年で音楽を聴くという行為がこんなにも変化している。
電話もそうだ。
昔は電話は一家に一台で長電話をしていると怒られ、友達に電話する時には相手口に誰がでるかドキドキと緊張したものだった。今は一人一台スマホの時代。相手口に誰がでるかわからないドキドキするシーンはもはや映像の世界では使われない。
そう考えると映画というのは文化の博物館ではないかと思えるのだ。
インターネットは今では必需品となっているが、黎明期にはAOLを使うとメールが届いたとき”You’ve got mail."と音声で教えてくれた。この音声をうまく小道具にしてラブストーリーにしたのがメグ・ライアンとトム・ハンクス主演の映画"You've got mail."だ。着信音がなるたびにドキドキしながらメールを開けるメグ・ライアンがとてもキュートだ。今のように毎日たくさんのメールが届くような時代ではないからできたストーリーだろう。
例えフィクションであっても、映画はその時代や場所を記録し、記憶して伝承するツールであり、まさにいつでも訪問できる文化の博物館なのだと思うに至った。水野晴郎氏ではないが、映画って本当に素晴らしいもんですね。