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「愛の物語」『トーベ・ヤンソン短編集』

 僕がムーミンシリーズ以外のトーベ・ヤンソンの小説を読むようになったのは、『ムーミン谷の仲間たち』に収録されている「春のしらべ」「この世のおわりにおびえるフィリフヨンカ」を読んだことがきっかけだった。
 ムーミンシリーズは、第一作品の『ムーミン谷の彗星』の時から既に児童文学の枠を超えた禍々しさを孕んでいた。そして、後期になるとその特徴は顕著なものとなる。
 上述の「春のしらべ」では、人が詩を生みだす衝動が表現されている。そして、「この世のおわりにおびえるフィリフヨンカ」では、自身の愛着のあるもの、場所、考え方等から解放されるまでの心理が象徴的に描写されている。
 このように、ムーミンシリーズを通して、作者の創作の衝動は、児童文学のそれとは異なるところに移行していったと言える。


 さて、表題の『トーベ・ヤンソン短編集』と『トーベ・ヤンソン短編集 黒と白』は、ちくま文庫が編集したトーベ・ヤンソンの大人向け短編小説集である。トーベ・ヤンソンは、自身が画家だったこともあり、創作及びその周辺の衝動を主題とした短編をいくつも制作している。そんな、数ある短編の中で今回僕が紹介したいのは『愛の物語』だ。


 『愛の物語』は、旅先のベネチアで薔薇色の大理石のお尻の彫刻に心を奪われた画家が、その彫刻が気になるあまり、旅先での恋人との会話にも身が入らない中、「その彫刻が欲しい」と恋人に打ち明ける、という内容だ。
 話の結末までをここで述べることはできないが、この話には、①自身は共感できない他者の感動を尊重しようとする気持ち、そして、②日々の生活の中で社会化されていくもの、鋳型に嵌め込まれていくものから逃避して、二人だけの世界を築きたいという衝動が表現されている。

僕はこの短編を読んだ後に穂村弘さんのこんな短歌を思い出した。
・「警官を首尾よくまいて腸詰にかじりついてる夜の噴水」『シンジケート』
・「教会の鐘を盗んであげるからコーヒーミルで引いて飲もうぜ」『短歌という爆弾』

 トーベ・ヤンソンの『愛の物語』とこれら短歌にはいずれも、倫理を超越して社会化されたものに共に背を向ける男女の姿が描かれている。その根底には、「二人の関係を、生の人間から自然と湧き上がってくる衝動・感情だけで捉えたい」という願いがある。しかし、現実の世界では、社会化されたものに背を向けたままでは生きていくことができない。毎日ご飯を食べなければならない。お金を稼がなければならない。返信用封筒の「行き」を「御中」に変えなければならない。僕たちは大なり小なり、社会化されたものを受け入れながら生きている。だからこそ、これらの作中人物がその社会化されたもの、鋳型に嵌め込まれていく力学に背を向ける瞬間はとても輝いて見える。

 この『愛の物語』は、そんな一瞬の輝きを描写しているが、それは単なるフィクションではなく、僕たちの日常生活に確実に存在しているものである。


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