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音楽


 女は終始俯き加減で話を聞いていた。大きな眼は伏しがちで、焦点は定まらず虚空を見つめ、アイラインやチークは顔に馴染まないまま、感情とは分離され、宙に漂っているようだった。
「疲れたの?」「うん。」
女は注文したケーキを苦しそうに口に運びながら答えた。
ケーキのひとかけを口に運び終えると、カチャと音をさせながらフォークを白磁の器に戻す。


女と男以外に客はいない。
薄暗く、黒寄りのダークブラウンで統一された家具が配され、窓際の白いレースからは微かに光が漏れ、空間は静けさで満ちていた。

男は、女の様子を伺いながら小声で、話を続ける。
「最近はどう?」「仕事は順調?」
「んー、まあまあかな。」
手元のアイスコーヒーの氷をスプーンで掻き回しながら女は答える。
「・・・。」

「この後どうする?」
男は、解散も視野にいれながら恐る恐る、女に尋ねる。


そのときだった。
「ポキュ」
 と静かな音が、女の手元のグラスの中から発せられ、女の視線は、一直線に入った氷の亀裂に注がれた。
さっきまでなかったものが、今、自身の目の前に存在するという事実に女は一瞬、戸惑った。
柔らかな音だった。

しばらく、氷の亀裂一点に視線を集中させた後、女は男をまっすぐ見た。
大きな眼ははっきりと男を捉え、口元には再び意志が宿っていた。
女の脳内では、柔らかい亀裂音の振動が響いていた。

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