『コーヒーと恋愛』獅子文六
ここ数年、ジュンク堂のちくま文庫のコーナーに行くたびに、僕の視界に必ずと言っていいほど入ってきていた小説をついに読んでみた。
正直にいうと、作者の獅子文六さんについての情報は何も知らなかったし『コーヒーと恋愛』という小説のタイトルだけを見ると何か甘ったる恋愛小説なのではないかという不安を拭えず、今まで読むことがなかった。
が、しかし、ちくま文庫が発行しているエンタメ小説(三島由紀夫の『命売ります』など)をいくつか読んでみたが、面白いものが多かったこともあって、今回ついに購入する決心をした。
雑感としては、1960年前後の東京のハイカラな雰囲気が物語に一貫して漂っていて、古臭さが全くなかった。
これは三島由紀夫の『命売ります』を読んだ際にも感じたことなのだが、古臭いどころか、この時代の一部の東京人のハイカラな生活がなんとなくかっこよく映るのだ。
僕には、この1960年前後の時代設定の作品を読むときに必ずと言っていいほど、ある憧れの感情が芽生えてくる。
それは、標題の『コーヒーと恋愛』そして三島の作品や倉橋由美子の『暗い旅』などを読んだ時に思ったのだが、
今でこそ「婚姻制度」って何? 不合理じゃない?という感覚がマスメディアを通して聞こえてくるようになったが(まだ少数だとは思うが)、この1960年前後の時期にその感覚を前提に物語が進んでいくことにいつも軽い衝撃を受けてしまう。
そしてこの時代は、間違いなく今よりも婚姻制度に対する疑問を投げかけることに心理的抵抗があったはずだ。そのことを思うと、同時代の人たちの芸術家、思想家などが、これらの作中人物のように社会的因襲に縛られずに、一種の村社会を形成して、その村社会で創作活動などをしていたのか、などと空想に耽るとつい興奮してしまうのだ。
また、これらの小説は、大量消費社会に日本が入っていく過渡期の時代の描写で、商品をオシャレに消費している描写がなんだかかっこいい。たとえば、この小説ではテレビ業界が誕生して10年ほどの時代であり、同時代のテレビ業界の描写、そしてインスタントラーメン会社やインスタントコーヒー会社の描写など、商品を消費することへの憧れを素直に受け入れることができる。
一点この小説の残念なところを挙げる。それは、現代では女性蔑視的な表現や価値観と判断される表現が随所に見られることだ。これがこの小説の唯一の欠点だろう。もちろん小説の最後のページには「差別的表現があるが、当時の時代背景等に鑑みて原文のまま記載した」という趣旨の説明書きはあるのだが、この女性蔑視的表現のせいで読んでいて集中力が途切れることが多々あった。
いずれこれらの表現を修正していただけたら一読者としては大変ありがたい。
上記の欠点があるとはいえ、本書はエンタメ小説として素直に面白かった。これからは、ちくま文庫系列のジュンク堂さんのおすすめ本は素直に読んでいこうと思う。