読書会・勉強会のすすめβ(5)―「持続可能な読書会」に向けての雑記

これまでの記事では、読書会の形式、予習のコツ、本選定などをはじめとした発足時の注意点についてまとめてきました。これらの内容は、どちらかというと僕の中では確固たるものとして、それなりに確信を持って書いた内容です。

一方、読書会に参加したり運営したりする経験の中で、未だに解決法が見えない課題や困難もあります。その中心は「読書会を無理なく、健全に維持し運営し続けることの困難」にあります。この記事では、一連の記事の締めくくりとしてこうした問題について検討してみます。中には、明確な答えを与えられていない問題もあります。そうした問題についてはぜひ、みなさん自身が読書会にかかわるなかで答えを探ってみて欲しいと思います。

読書会の運営は大変

第1回の記事の締めくくりで、「読書会を実際に運営するのは大変だ」として、次のように述べました。

実際に読書会を行ってみると、読む本のレベルが合わなかったり、当日の議論の進行がスムーズにいかなかったりと、想定外のトラブルが起こることも多々あります。酷ければ、読書会自体が空中分解、なんていうことも。

ここで挙がっている問題については、ある程度の改善策・防止策をこれまでの記事で紹介してきました。しかし、読書会を行う困難はこれだけには限りません。むしろ、1番の問題は別にあります。それは「読書会の維持・運営が大変」ということです。

実際に読書会を主催してみると分かることですが、読書会の主催者というのは意外と大変です。読む本の選定、参加者の募集、日時の調整、場所の調達、当日の司会進行……と、やるべきことは多岐にわたります。1つ1つのタスクは些細なことなのですが、それらが積み重なると「塵も積もれば」です

また、少なくない読書会が、有志が集まって学ぶ「自主ゼミ」の形態をとります。これは、授業やゼミと違って強制力がありません。あくまで自主的な学びの場です。それゆえに拘束力がなく、参加者がドタキャンしたり、気づいたら来なくなっていたり、ということもあります

このように、読書会運営というのは思っている以上に大変な部分があります。主催者はてんてこ舞いで目が回る。一方、参加者は気づいたらいなくなっている。その先に待っているのは、読書会の空中分解です。

タスクを分割するメリット

このような、読書会の運営・存続に関する問題は案外根深いものです。ですが、ある程度の対策も考えられます。1つは「読書会運営のための仕事を分担する」ことです。つまり、主催者・運営者が1人で仕事を抱え込むのではなく、ある程度の仕事を他の参加者にも割り振るのです。

なぜ、仕事の分担が読書会の維持に資すると言えるのでしょうか。1つ目の理由は明らかで、運営者本人の負担が軽減するからです。仕事を他の参加者に割り振るのですからこれは当然の結果です(と見えますが、実はそうとも言い切れない、ということを後で述べます)。

一方、仕事の割り振りが「参加者の離脱」の予防にも効果的だ、というのはいまいち納得しがたいかもしれません。この点について考えるためには「参加者の離脱」と「運営者の負担過剰」の関係について少し考える必要があります。

そもそも、「運営者の負担過剰」の問題はフリーライドの問題です。端的に言うと「特定の人がたくさん仕事をして、他の人はその成果にタダ乗りする」関係になっています。具体的には、主催者による読書会運営という仕事に、他の参加者がタダ乗りする形で読書会に参加しています。

もちろん、問題はこんなに簡単ではありません。読書会の実現のためには参加者がいることは不可欠です。個々の参加者が十分な予習をして、当日には活発な議論をすることは読書会実施の肝とも言えます。そうした参加者を「フリーライダー」と呼ぶことは不適切でしょう。

丁寧に述べると、実際の読書会は

①最も負担の多い主催者
②参加・予習・議論という負担(と責任)を負う積極的な参加者
③読書会運営に必要な負担をあまり負わない消極的な参加者

の間のグラデーションで成り立っていると言えます。このグラデーションの幅が大きすぎると「③の側の人から順にいなくなっていき」一定のラインを越えたところで「①の主催者が限界を迎えて潰れる」というのが1つのパターンではないでしょうか。

ここで大事なのは

①の主催者の負担を軽減すること
②のメンバーが③に転じることを防ぐこと
③のメンバーが読書会の維持に価値を感じ、意欲的に参加することを促すこと

の3点です。

そして、ここで「ことの本質がフリーライダー問題である」という認識が効いてきます。フリーライダーはその場に「タダ乗り」しているわけですから、読書会がつぶれようがバックレようが、さしたる損害は生じません。したがって「フリーライダーほど読書会を辞めるハードルが低くなる」と考えられます(この点は、僕の個人的な経験・肌感覚と一致しています。もちろん、実際にこうだと断定するには更なる調査・検討が必要なのは言うまでもありません)。

②や③のメンバーに仕事を与えずにいることは、そのメンバーをフリーライダーの状態にして放置することに等しい行為です。②のメンバーはそもそも読書会への参加それ自体に意欲があるわけですから、読書会の維持に対しては協力的です。したがって、過度に負担にならない範囲であればそれなりに手を貸してくれる見込みがあります。また、運営にかかわってもらうことで、フリーライダー状態を緩和・解消することができ、意欲低下を防ぐことが期待できます(もちろん、過剰に仕事を振ってしまうと逆効果になるので注意が必要です)。

では③のメンバーはどうでしょうか。実は、③のメンバーにも多少は簡単の仕事を頼んだ方が良い場合が多いと考えられます。運営に関するコストを払ってもらうことで、「タダ乗り」に特徴的だった辞めるハードルの低さを解消するのです(心理学の用語を借りて言うなら「サンクコストを払ってもらう」とでも言えばよいでしょうか)。

本当に読書会やる?

このように見ていくと、読書会を維持する行為は、部分的に「参加者を、読書会に縛り付けておく行為」であることが分かります。授業やゼミという「強制力」のある場では、この縛り付けが生じる分、空中分解のリスクはまずありません。しかし、有志による自主ゼミでの読書会では、この縛り付けが無いために、維持ができなかったり、そもそも開催までこぎつけられない場合があるのです。

ですから、読書会を実際に行おうとする場合には、そもそもその読書会を行うだけの価値やモチベーションがあるのか、を事前に問う必要があります。これまでの記事の中で、何度か読書会を「自立的・自律的な学習者が、学びをシェアするということに読書会の本質がある」と述べてきたのもこれが理由です。そもそも1人でもきちんと学べる人たちが、それでもなお集まりたいという強いモチベーションがあってはじめて、読書会は健全に運営できるものなのです。

さて、読書会運営・維持が持つ、ともすればほの暗い一面について見てきました。この問題をどう捉え、読書会をどのように維持・運営していくべきなのか、僕自身もまだ答えが出ていません。しかし、この問題をここで更に突き詰めることはせず、現実的な読書会運営のためのtipsに話題を移していきましょう。

読書会運営のタスクを洗い出す

ここまでで、読書会のタスクを各参加者に(適度に)割り振ることが、読書会の維持に役立ちそうだ、ということを見てきました。では、実際にどのようなタスクがあるでしょうか。ここでは思いつくままに書き出してみようと思います。

<読書会発足のためのタスク>
・本の選定
・参加者の募集
*基本的な日時や場所の決定
<読書会運営・維持のためのタスク>
・次回読む箇所(ページ)の指定
*発表や訳の担当者の割り振り
*日時の調整、決定(別の予定などで日時を変更する必要がある場合)
*場所の予約(予約が必要な場合)
*上記(ページ、割り振り、日時)の連絡係
・当日の議論の司会進行(※場合によってはメンター役)

これらのタスクのうち、特に「*」のしるしをつけたものは、比較的他の参加者に任せやすいタスクだと思われます。

ただし、これらのタスクを割り振ったら万事解決、とはなりません。というのも、割り振った仕事を忘れていたり、動き出しが遅かったりする場合があるからです。したがって、主催者は「仕事の割り振り」と同時に「割り振った仕事の進捗管理・声がけ」を行い、時に「割り振った仕事の代行・割り振りなおし」を行う必要があります。これは、蓄積すると負担の大きい仕事ですが、全体を見渡せる主催者でないと難しい役割でしょう(そして、あまりに仕事の遅延が多いなら、そもそも読書会をやる必要があるのか、から見直す必要があるのかもしれません)。

オンライン読書会の可能性

ここまで、読書会のタスク分担という観点から、読書会を実施する必要性の問題にまで触れてきました。この問題に対しては僕自身、未だに悩むところが多い、というのが本音です。その悩みの種の1つが「身近なところに、読書会を一緒にやるだけの意欲のある人がいない」ということが挙げられます。そもそも周囲に意欲のある学習者がいなければ、読書会など出来るはずも無いのです。そういう意欲のない人を無理やり読書会に誘ったところで、自分は運営の負担を抱え、相手はやりたくもない読書会を強制される結果になり、誰も得をしません

こうした状況の中、オンラインを介した読書会というのはある種の可能性を持っていると思います。オンラインであれば、読書会を行う相手は「自分の周囲」から「世界中の学ぶ人」に広がるわけですから潜在的な参加者の数は跳ね上がるでしょう。もちろん、参加者が少ない場合でも、物理的な距離に囚われることなく読書会を行なえるのは大きなメリットです。実際、僕も以前から遠方の友人との読書会を行っていますし、コロナ以後は大学の研究室の読書会もオンライン開催に(一時的に)移行しました

もちろん、オンライン読書会も万能ではありません。オンラインのやり取りは、どうしても声を発する人が1人に限られるため、同時多発的に議論を行なったり、双方向的なやり取りを行うことには不向きです。従って、どうしても司会役によって交通整備された画一的な空間になりがちです。また、時間的にもはっきり区切られてしまうため、読書会前後の雑談や「延長戦」の議論を行うことも出来なくなってしまいがちです。

こうした懸案事項はあるものの、オンラインという媒体が魅力的であることもまた事実です。対面での読書会の在り方を模索すると同時に、オンラインの可能性について考えることも必要だと考えられます。

ちなみに、僕が実際に参加・主催している読書会はgoogle meetを使っているものもあれば、LINE通話で行っているものもあります(LINE通話の読書会は僕も含めて参加者2人という超少数での読書会ですが)。それぞれのツールの特性も今後研究が必要ですが、1つ言えるのは、やってみるとそれなりに上手くいくこともあるということです。もちろん、その要因には「参加者の意欲の高さ」があることは言うまでもありません。

まとめ

読書会は、根本的にフリーライダー問題を抱えています。それは、主催者の負担の大きさと、参加者の「タダ乗り」という不均衡な関係に根差しており、これが読書会の空中分解の引き金となることもあります。ですが、これは裏を返すと、読書会は高いモチベーションが無いならば得るものより負担が大きくなってしまうこともある、ということです。こうした中で、あえて読書会という選択肢を選ぶべきなのか、ということは改めて問い直しても良いのかもしれません。

また、こうした背景を受けて「モチベーションの高い参加者がどのように集うか」という問題も浮上してきます。その1つの打開策にはオンライン読書会があるでしょう。しかし、これも問題がないわけではなく、むしろ今後更なる検討・実験的実施が求められることと思います。

読書会は、決して「何一つ欠点のない理想の学び」ではありません。むしろ、根深い問題を抱えた難問だと言えます。それでも、うまく運営することができれば大きな対価が得られることもまた事実です。読書会のより良い形を模索すること、そこで得られた知見を言語化し共有財産としていくことが必要なはずです。そうした取り組みの(おそらく大いに不完全な)第一歩として、僕の記事が役立てばと願ってやみません。

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