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自分を磨く、その本意
「自分らしい」とは「他人と違う」という意味ではなく「自分の好き・嫌いや、快・不快を追究すること」と気づいて、さらに考えたことがあります。
それは「自分磨き」。
「自分磨き」というと新しい何かを新たに身につけることと捉えてきました。今できることの精度や完成度を高めることも含めて。
だから勉強したり、習い事をしたり、ブラッシュアップしたりしてきたのですが・・・きっとこれも少し間違っていたのです。
新しい学びをすることは間違っていない、それは挑戦であり生きている限り求めるものだと思うから。
でもその目的が「自分をもっとよくするため」だったのがよくなかったように思います。
きっとその時の私は「何か新しい学びをする」→「新しい自分になる」→「その新しい自分なら認められる」こんな流れを思い描いていたのです。
もちろん極端にまとめてしまえばですし、後から振り返ってみて分かったことですが。
たぶん、その証拠が今の私(笑)
新しいことを手に入れても、しばらくしたらまた足りない何かを見つけて学び始める、このサイクルをずっと繰り返してきて今があるのです。
身についていないわけではありません。
でも何も自信になっていないし、欠乏感みたいなものは変わらずあったと思います。そしてそれは学びに貪欲だからという向上心ではなく、自分に足りないもの探しをしていたからです。
きっと自分磨きとは「自分はこういう視点も持っている」とか「自分のここが好き」という自分の本質となる部分を明らかにしていく作業なのだと思います。
それは自分の判断で大丈夫。他人は登場させない。
見つける手段として他人がやっていたことや他人から言われたことを採用するけれど、判断は自分でするしかないのです。
つまり「まだあの人に及ばないから、私はまだ好きと言ってはいけない」のように他人を自分の判断の基準にしない、ということです。
そしてその上で「こうなりたい」姿を描いて、そのための方法を実行する、そんな磨き方を私はしていきたいと思ったのです。