見出し画像

失敗とへ理屈と魔法の言葉

自信がない原因の一つに失敗や失敗に伴う惨めさへの恐れがあると気づいて・・・そこからさらに思ったことがあります。

「そもそも失敗しちゃいけなかったっけ?」

「失敗」って何をもって失敗と呼ぶんだろう?ということにも繋がるから大前提の問題をほったらかしにしていたということでもあるんです。


例えば普段行っている通常の作業に関して、何かしらのミスをして思わぬ結果を招いてしまって損害しか生まなかったような場合には「失敗」と言えるのかもしれない。

でも何か発見があったり見直すことが見つかったりしたら「失敗」じゃないかもしれない。

だったら「失敗」した時点から失敗じゃなくする可能性が生まれているとも考えられる気がするのです。


例えば初めてやる作業や自分にとって挑戦となるような事柄の場合。

希望する結果以外を失敗と呼ぶのか?だったら失敗の確率の方がグッと上がりそうだな・・・。

でも「希望する結果」についてそこまで事細かに思い描けているだろうか、と疑問も出てきます。分からないけどやってみるという部分も多いのではないかと思のです。

成功の可能性が何パーセントなのかも分かりようがないのだから、とりあえずやってみて、その後に次の手を考えてもいいんじゃないか。

だったら未知の状態から一歩進んだと捉えれば、成功に向かっていそうだとも思えてきます。少なくとも失敗ではないと思えます。


例えば同じことを1回で成功させる人と100回失敗して101回目で成功させる人がいた場合。

外から見たら1回で成功できる人の方がかっこよく見えるし、もっといろんなことができそうで能力が高く見えるかもしれないけど・・・。

もしかしたら1発で成功したように見えてはいるけれど、その人は人知れず100回の準備を積んでいるかもしれない。その人にとってはその100回は失敗じゃなくて準備なだけかもしれない。

ということは「失敗」って捉え方次第で「準備」とも言えそうです。


ここで、ふと気づくのは「失敗」って案外悪いだけのものじゃないかもしれないということです。

私のへ理屈がさく裂しているだけかもしれませんが(笑)

私が見つけた、失敗が怖くて前に進めない時の魔法の言葉は・・・・

「データを集めに行くかぁ~!!」です。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?