「大切」は生命維持装置
自分を構成する要素として「何が好きか?」も大切だけど、私にとっては「何を大切に思うか?」も大切です。「大切」の羅列で言葉遊びみたいですが、言いたい内容は伝わるのではないかと思います。
今年思いもよらず経験している新型コロナの流行。
私は元々友達も少ないし、家にこもって仕事をしているので前後で何が変わったということではないのですが、それでも心穏やかに過ごせない日々の中でたくさん考えました。
今までも「死」は誰にでも訪れるもので、怖いけれど仕方ないものだと割り切っていたつもりでした。
でも全く違った。
私は「死」を一般論としてしか考えていなくて自分事としては捉えていなかったのです。
それがコロナで思い知らされたことでした。
もし今感染したら、そのまま入院、そのまま死もあり得るのです。
家族にも、大切な人にも、もう一回だけでも会いたい人にも、誰にも会えないまま命が終わる、そんな自分の終わり方もあり得るんだということ。
私は今だけでなく今までも、これからもずっと死と隣り合わせだということ。
このことを急に実感して、そうしたら急に孤独になりました。
今まで一人でやってきたつもりだったけれど、本当はたくさんの人に囲まれていたんだと気づいて、そして私には誰もこの気持ちを伝える相手がいないのです。
私は大切だと思っている相手にすら本音で話してこなかったのかもしれない。
今初めて、自分の周りにいてくれる人たちの大切さに気付いたということかもしれない。
とにかく、私は「大切」について思い知ったのです。
すごく陳腐だけど、私には大切なものがたくさんあることに気づいたのです。
自分の周りの人、自分とその人たちの健康、環境や食事が自然であること、仕事、そして命そのもの。まだまだたくさん。
そうしたら今生きていることがとても大切で、そしてギリギリのものであることに気づいて、失うことがとても怖いと感じました。
怖いってきっと大切な感情です。
「大切なものが人生において大切」な理由はきっと自分自身の命を守る理由になるから。失うことが怖いということはそういうことです。
何かを大切に思う気持ちは、自分を守る生命維持装置なのですね。
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