人に〇〇される人になろうとするから苦しくなる
子供の頃から「人に信用される人になりなさい」とか「人に愛される人になりなさい」とかさらには「人から尊敬される人になりなさい」なんてものまで何回も言われてきました。
私だけじゃなくて言われてきた人は多いんじゃないかと思うし、言われてなくても何かの文章や誰かの伝記を読むことで「見習うべき人」像として触れたことがあるのではと思います。
私は最近になってこの考え方が自信のない自分を作ってきたのかな、と考えるようになりました。
他人の心なんてどうやったら動くか分からないし、それは人によっても違うだろうし、そもそも自分以外は皆他人です。
皆個別の独立した心と精神と考え方を持っているのに、他人に意図して何かを思わせるって無理なんじゃないかと思うのです。
他人を思うように操るなんて本も出てはいますが・・・。
私はやはり自分の行動や人格の基準を他人からの評価に委ねてしまうことがグラグラ、ブレブレの原因だと自分の現状から気づきました。
他人に受け入れられる自分になろうとすると、どうしても他人>自分という価値ができてしまうのです。
私はずっとそうだったから。
そうやってだんだん自分の本音が自分でも見えなくなってしまう。
他人がいないと自分もいないんです。
でも人を喜ばせたいとか役に立ちたいという気持ちは人にとって必要です。
たぶん生きている意味にも繋がるし、精神の成長の過程で芽生えるものだと思っています。
ここから私が見つけたことのひとつ。
人から信用される人間にはなれないけれど、人を信用する人間にはなれる。
人から愛される人間にはなれないけれど、人を愛する人間にはなれる。
人から尊敬される人間にはなれないけれど、人を尊敬する人間にはなれる。
それはつまり、私が相手を「人から信用される人間」にすることができるということ。
私が相手を「人から愛される人間」にすることができる。
私が相手を「人から尊敬される人間」にすることができる。
何だか世界が広がっていく気がしません???
言葉遊びみたいに聞こえるかもしれないけれど、私はこう思うんです。