アートは自分との対話①
私はプリザーブドフラワーと白磁の絵付けで作品を作っています。
作るという作業は自分の心と向き合うことでもあるんです。
まずはそんなアートとの出会いから。
私は子供の頃から他人と比べる癖があって、いつでも自分にないものばかり見ていました。
だから心の中はいつも羨ましさと妬ましさでいっぱいだったように思います。人が褒められている姿を見て「なんで私は褒めてもらえないんだろう?あの子ばっかりズルい」って拗ねていたし、友達同士でわいわい騒いでいる姿を見て「私は何で輪の中に入れてもらえないんだろう?」って羨ましく思っていたんです。
成功している人のことをズルいって思ったことも数知れず、誰を見ても、どこかに自分より優れているところを見つけて私にはないもの持ってるって本気で思っていました。
でもそれは曲がりに曲がったプライドのなれの果ての姿だった、今ではそう思います。
本当の自分の姿を直視することが怖くてできないから、他人を見てしまうんです。負けたくないって思っているから比べてしまうんです。
そこで曲がったプライドが大騒ぎ。
こんなに落ち込んだり拗ねたり心が大荒れなのに、他人に見せる顔は「まぁ世の中こんなもんでしょ」くらいな平然としたもの。
今思えば(こればっかりだけど)、子供のうちに誰かに本音を言ってみたらよかったって思います。
そのまま大人になってからも上手くいかないことだらけで・・・・
こんな小手先だけの生き方で生きていけないって気づかされたのはこのアートを仕事にしてからでした。
プリザーブドフラワーに出会って、それまで勤めていた会社も辞めて教室を開いてからすっごく遅いけど私は私に出会ったんです。
最初は貯金を切り崩していたので、どんどん減っていく貯金が怖かったのは事実だけど・・・それ以上に今思いっきり好きなことやっている、挑戦しているということが何だか誇らしいというか人間のスタート地点に立てたような気分だったのです。
コンテストには落ち続けるし、下手だからお客は呼べないって言われたし、
騙されたこともあって、一人では心が乗り越えられなくなって。
初めて人前で泣いたし、泣き言もいっぱい言った。
でも泣いたり弱音を言えたおかげで私は今まで続けてこられたんです。きっと。
今だってまだまだ売れていないし、夢の途中どころか入り口近辺だけど
それでも今があるんです。
弱音を聞き続けてくれた友達や母親に心から感謝の気持ちが生まれたし
夢が全然近づいてこないもどかしさもいつも感じているし
人に認めてもらえる嬉しさも知ったし。
これが自分らしさなのかどうかは分からないけれど、自分の感情と共に生きている、そんな感じなのです。
自己紹介代わりに私がアートと出会って、アートから得た知恵です。