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人生の意味
こんばんは、もとこです。
最近、ずっと人生の意味の哲学を読んでいます。
若い頃は、
「人生に意味はない、
一方的に産まれて来る事を強要された、
毎日つらいばかり、死にたい」
と、考えていました。
実際に何度も死のうとしましたが、死ねませんでした。
しかし、今は人生には意味がないと言うのは、ちょっと違うのでは?と、考えています。
その一方で、私は非出生主義者です。
子供を産むと言う行為は親のエゴでしかありません。
自分の満足の為に産むのです。
そんな2人がセックス した結果が私と言う存在です。
子供を産むと言うのはリスクがあります。
母体死亡のリスクがある行為ですので、
男性側がこれを女性に行わせる時点で、
男性側が女性を本当の意味で愛しているとは、私には考えられません。
本当に愛していれば、死のリスクを負わせたりしないでしょう。
この前も友人が子供を無事に出産しましたが、
友人が死ななくて良かったと安堵しました。
このようなリスクを女性は抱えることになります。
また、産まれて来た子供が幸せに生きるとは限りません。
どれだけ親が努力をしても、子供は人生を生きる間に凄まじい苦労を強いられます。
それは、全体の幸福の割合よりも、辛いことの割合の方が多いと言っても過言ではないでしょう。
そう言う理由から、私は出産は暴力的行為だと考えています。
子供を無事に出産した友人や兄妹に、おめでとうと思う反面、
子供達が産まれて死ぬまでの苦労が可哀想で可哀想で、出来るだけ幸せに暮らせますようにと考えるたびに、涙が溢れて来ます。
人生に不幸は必ず付いて回るし、生きることは本当に過酷なものだからです。
それでも、生きている事には必ず意味があると、私は信じています。
運命と言う存在を感じられるようになったのは最近の事です。
人にはそれぞれ運命があって、
その線の一本一本が交錯し、人々は出会い、別れます。
縁と言うか、運命と言うか。
私に、「人生の出来事には、必ず意味がある」と教えてくれた人がいます。
私は苦しい時にこのような事は簡単に忘れてしまいます。
すぐ死にたくなります。
その度に、出産という暴力をこの世から無くしたいと感じます。
でも、肉親や友人の出産に対して、そんなふうには思えない自分がいます。
人間も人生も生きる事も、そんなふうに一筋縄では行かない矛盾を孕んでいるのだと思います。