【ミスチル自分史】(5)9月の朝に吹き荒れた通り雨
トップ画像は、motokidsさんからお借りしました(偶然同じお名前でした!)。ありがとうございます!
大学時代、部活の先輩の一人がミスチルファンだった。それまで自分の周りには、「ミスチルの曲いいよね」という人は多くいたものの、熱烈でマニアックな話ができる人はいなかった。その先輩と初めてミスチルについて話をしたとき、「自分よりもはるかにミスチルに詳しい人だ!」と驚き感動したことをよく覚えている。同志を見つけた!という感じだ。
新曲がリリースされるたびに、あれやこれやと話は盛り上がった。『言わせてみてぇもんだ』は、「なんか過去の何曲かが混ざったような感じだね」と言っていたこと。『掌』と『くるみ』はどっちが好きかと話したこと(先輩は掌派で、私はくるみ派だった)。
ときたま辛口にミスチルを評価する人だったけれど、その根底には真のファンが持つミスチル愛があった。先輩はミスチルに限らず、邦楽洋楽ジャンル問わずに音楽全般が好きな人だったから、「そういう人ってミスチル聞かないんじゃないか」と自分は思い込んでいたけれど、そんなことは全くなかった。
ライブにも頻繁に通い、チケットを何でも取ってくる人だったので(これはいまだに不思議だ)、『Tourシフクノオト(2004.9 横浜国際総合競技場)』や『Dome Tour I♡U(2005.12 東京ドーム)』のライブにも誘われて、参戦することができた(感謝!)。
そう、私の大学生時代は、「シフクノオト」から「I♡U」が重なる。初代iPodが世の中に出て、それまでのMDウォークマンよりも、はるかに音楽が聴きやすくなった頃だった。
「I♡U」に収録されている『僕らの音』には、鮮明な記憶と特別な思い出がある。大学3年生の9月、なんとなく憂鬱な気分だった日のこと。特別な理由があったというわけでもなく、ぼんやりモヤモヤしていたのだろう。ゼミが終わって、校舎から外に出ると、当時好きだった相手に偶然ばったり出くわした。そして、彼女と挨拶を交わしただけで、憂鬱が吹っ飛び、急速に心が晴れたのだ。
君は9月の朝に 吹き荒れた通り雨
叩きつけられて
虹を見たんだ そこで世界は変わった
あの瞬間、メロディと歌詞が頭の中を流れた。「世界が変わる瞬間」というものを本当に感じた。この曲を聴くたびに、あのときのことをよく思い出す。それはとても幸福な体験だったように思える。
『僕らの音』は、大学生だった自分とともにあった。大学4年生になって、部活を引退し、授業も減って、時間が余り始めた頃、「名作と呼ばれる作品を見たり聞いたり読み漁ったり」してみようかなと思った。
有名な古い映画を見て(「アマデウス」とか「カサブランカ」とか)、クラシックCDを聴いて(エルガーとかモーツァルトとかショパンとか)、図書館で古典を借りて読んだりした(ヘルマン・ヘッセ「車輪の下」とか)。
「名作」というものを意識しながら、できるだけ多くの作品に触れようとしたことを覚えている。その経験は、具体的な何かに結びついたわけではないけれど、きっと血肉となって今の自分を形づくっているような、そんな気はしている。