戦国の遺構を訪ねて 八王子城跡
昨日2月9日、八王子城跡(八王子市)を散策しました。八王子城跡は財団法人日本城郭協会により2007年に『日本100名城』に指定されています。各都道府県に1城から多いところで5城(愛媛県)が指定されており、皆様がお住まいの都道府県にも必ず1城はあります。
また八王子市内にある滝山城は、2017年に、さらに多くの人に城への関心を高めてもらうために選定された『続日本100名城』に指定されています。
八王子市内にある2つの100名城のうち八王子城を写真中心に紹介したいと思います。今回は記録写真的な要素が強くなります。
1.八王子城跡
八王子城跡入口。管理棟やトイレなどがあります。
まずはパンフレットから八王子城の説明を引用します。
八王子城は、小田原に根拠をおいた小田原北条氏の、三代目氏康の三男、北条氏照が築いた山城です。天正10年(1582)頃に築城が開始され、天正15年(1587)頃までに滝山城(八王子市丹木町)拠点を移したとされます。
豊臣秀吉の関東制圧の一環で、天正18年(1590)6月23日、前田利家・上杉景勝軍に攻められて落城しました。この八王子城落城が決め手となって、本拠の小田原城は開城、氏照はこの時小田原に籠城中で、兄の氏政と共に城下で切腹し、北条氏は滅亡しました。
八王子城は関東屈指の山城です。氏照が構想していた城郭は壮大で、落城時はまだ未完成であったと考えられています。城は大まかに、城下町に当たる『根小屋地区』、城主氏照の館などがあった『居館地区』、戦闘時に要塞となる『要害地区』に分けられます。
八王子城パンフレットより引用
今回は、城主氏照の館などがあった『居館地区』を見学しました。
ほぼ時系列通りですが、一部は以前に来た時に撮影した写真を補完として載せていきます。
居館地区へ向かう林道。木洩れ日が美しい散策路となっています。この道は築城当時には存在せず、江戸時代に作られた道だそうです。ただこの道幅になったとはおそらく昭和に入ってからではないでしょうか。
大手道。中央付近に杭が建てられていますが、左斜面から竪堀と呼ばれる堀を渡る橋となっています。
大手道を進んでくると居館地区へ渡る橋に出ます。橋の下には城山川という川が流れており、天然の堀の役目を果たしていました。
橋を渡りきった左側はこのようになっているのですが、本来はこちらに橋が架かっていたのではないかといわれています。当時の橋は簡単な木橋を架け、いざ戦闘になった時には、敵が渡れないよう切り落とすような橋だったと考えられています。
居館地区へ向かう階段。橋を渡り右へ進むとこの石垣の階段に出ます。ここが八王子城の中でも最大の見どころの一つです。石垣や石畳はなるべく当時のものを利用しできるだけ忠実に復元したものです。
八王子城の整備は1990年の落城400周年に向け、80年代後半から一気に進みました。それまではこの階段も長いあいだ土に埋もれていました。
階段途中の踊場には4つの礎石があり、ここに櫓門があったと考えられています。写真は4つの礎石のうちの1つです。
さらに階段を上るとようやく居館地区の中心である御主殿への門が見えてきます。冠木門とよばれるもので当時をイメージしたものです。城域でも特に重要な施設である御主殿へは、敵が一気に侵入しないよう何重にも折れ曲がる大変強固なつくりです。
御主殿を守る土塁上から。御主殿は山間地にありながらサッカーグランドほどの広いスペースが取られています。
御主殿を別角度で眺める。この写真は以前に撮ったものです。
御主殿には城主氏照の居館跡があります。建物の礎石が確認され、当時のものは地中保存という形で60cm~80cmほど下に埋められています。地上に見えている石はその位置が分かるよう復元されたものです。
後ろに見える舞台のようなものは会所を復元したもので、ここで政務が執り行われていました。
御主殿土塁上から先ほど渡ってきた曳橋の眺め。
自然豊かな場所で光に照らされた樹々が美しく輝いていた。
御主殿からは最初に通った林道に繋がる道があり、再び林道に出て入口へ戻ります。曳橋の下から見上げる御主殿の石垣は4段になっていて、段と段の間には犬走りが設けられています。
林道沿いには城山川が流れていますが、冬場は部分的に水が枯れていることが多いです。大きな流木がありましたが、おそらく昨年10月の台風の影響かと思います。
2.宗閑寺
帰りには八王子城跡から800mほど離れた城下根小屋地区にある宗閑寺に立ち寄りました。城主北条氏照が永禄7年(1564)に再興した寺が前身と云われている曹洞宗のお寺です。
写真は観音堂と枝垂れ桜。左奥に見える山は深沢山で、その山頂が八王子城本丸です。
観音堂前の枝垂れ桜。
観音堂と枝垂れ桜。
モノクロ写真と似たアングルは見つかりませんでしたが、春には観音堂前の枝垂れ桜が見事に咲きます。屋根を見ると卍と北条氏の家紋である三鱗が見られ、このお寺と北条氏とのつながりの深さが分かります。(2018年4月1日撮影)
3.八王子城跡の現況とその他の施設
管理棟からすぐ、本丸へと続く登山道入口付近の様子。昨年10月の台風19号の影響で橋が崩落しています。この部分は少し迂回することになりますが、本丸方面へ行くことは出来ます。
八王子城模型。見てのとおりまさに山城です。今回歩いたのは影になってしまい分かりずらいですが写真下の方の居館地区です。
ガイダンス施設。映像や模型など八王子城跡を学ぶことが出来るので、行く前でも帰りにでも立ち寄ることをお勧めします。
この建物右手はバス停があり、土日祝に限り1時間に1本程度ですが高尾駅北口と直通で結ばれています。またお車の方には50台ほど停められる駐車場が完備されています。
4.まとめ
八王子城跡は山麓の居館地区、山頂の要害地区、城下の根小屋地区とそれぞれの特徴があり、戦国期の山城を知るにはとてもよいお城だと思います。
実際の戦で落城した城であり、当時の建造物は何も残っておらず、石垣や土塁、地形を利用した縄張りを見ることになりますが、当時の様子を想像する楽しみを味わえるのではないでしょうか。
山麓の居館地区だけ見学するのならば、通常の街中の服装でも問題ありません。ただし長ズボンと靴は少なくともスニーカーなどしっかりしたものがいいと思います。山頂の本丸まで行くのならば、完全な山登りになるのでトレッキングシューズや登山の服装がいいですね。
城内には昨秋の台風の影響で立ち入り禁止の場所がいくつか見られました。また普段からボランティアガイドさん同行でないと入れない場所もあるので、初めて来る方はガイドさんに案内してもらうと、よりよい見学になると思います。以下に参考ページとして貼り付けておきますね。
長くなりましたが地元八王子を紹介する回にお付き合いくださりありがとうございました。