Family tree
ちょっとかっこいい題名。
このブログの裏テーマ(?)は、もし僕が不慮の事故とかに巻き込まれて死んじゃった時とかにお父さん、家族に私の生きた軌跡として読んでもらいたいから。ってのが密かにあります。
ってことで近々の友達はもしもの事が起きたらこのリンクをお父さんに教えてあげてください。(遺言)
それと僕の友達は堅苦しいお葬式ではなくダンスパーティ付きの催しをして追悼してください。
僕の大好きなABRAの「CRYBABY」という曲を流して「あ…もとき好きそう…」って思って歌って踊って、僕の分まで楽しむような最高な追悼式にしてください!(二つ目の遺言)
オクラ、トイレの次は家族の話。(同列に話すことじゃない)
今回はめっちゃ長いので覚悟を。
去年お父さんに会った時、うちの家系を小説化したやつを渡してきた。
祖父が亡くなって色々想う事があったらしい。
実話だけど裏が取れない事実もあるらしく、小説とのこと。
その小説によるとうちの家族は桶屋だったらしい。
要は桶作ってたわけですよ。
それでおじいちゃんのおじいちゃん辺りが、流木で桶作ったら、それが窃盗だかになって濡れ衣で逮捕されたらしい。
その後その罪人(って呼んでごめんなさいご先祖様)の子供が弁護士だかになろうと猛勉強して試験を受けて受かったものの、罪人の子供って判明して免許が剥奪されたらしい。
そのまま経済力がなく、新潟から北海道にあるヒッピー村みたいのに行って自給自足の生活をしてたらしい。
それで子供が8人だか10人だか居たらしいけど、1人以外はみんな凍死やら餓死やらで死んでしまったらしい。
そしてその生き残った1人が一番年下だったおじいちゃん。
生命力たけー。
その後おじいちゃんは新潟に戻って5歳くらいで養子に出される。
そこにいた一歳年上の娘と将来結婚して、婿入り。
おじいちゃんとおばあちゃん義理の兄弟だったと知り驚き。
二人は80年くらいずっと一緒に生活してたって考えるとすごいな…。
ちなみにおじいちゃんは祖母が亡くなった後も10年くらい一人暮らしでヘルパーの助けもなく、自分で毎日ご飯を作って、ボケることもなく89歳でコロっと逝った。
生命力たけー。
これがその小説のハイライト。
父と母の出会いはどっちも教えてくれないから、それが書いてあるかと期待していたのに…。
言えない出逢いって、水揚げ…いやむしろ通い詰めてたソープ嬢がお母さんだった…変な想像が止まりません。
ちなみに父書記のその小説の題名は「○○三代記-墓の来襲- CONFIDENTIAL」。
中学生の時私ヤンチャな先輩たちとつるんでたんです。(私自身は別にヤンチャじゃない。強いて言えば当時はギャル、いやBガール。)
それでそのグループが何か問題起こして、その先輩とその親、うちは親だけが単体で学校に呼び出された。
それでその集会が終わった後に先輩たちから「モトちゃんのお父さん最高だったよ!」ってヤンキー達に称賛された。
確か教師たちを完全論破したとかそんな感じ。
誇り高き父なのである。
うちの兄も僕と同じように、兄自身はヤンキーじゃないけどめっちゃ地元でも恐れられてる輩たちと友達。
中学2年生の夏(中2の夏はドラマがあるよね。)、先輩に強制的に五厘坊主、眉毛全剃り、その週になぜか違う先輩と対マンを張らされボコボコにされ眼帯をする羽目に。
1週間そこらで五厘眉なし眼帯のすげーヤバい見た目に変貌。
それまで前髪サラサラの13歳だったのに…。
それでその年の地元の祭り。(ヤンキーって祭り好きだよな〜)
うちの兄はその坊主にさせた先輩を呼び出して、「俺の弟に手出すなよ」的なことを言ったらしい。
しかもそれを人伝で聞く…。
お兄ちゃんカッコイイ。
兄がバック(というかその友達の輩)に付き一気に地位が昇格したのである。
むしろ小さい時からその兄にボコボコにされてたから、お前がそれ言う?って一面もあるけど。
とにかく。あの出来事には感謝。
そんなボコボコにいつもされてた体格の大きい5歳年上の長男。
大人になって喧嘩した時は私のジム通いが功を成し負かしてしまった。
それから程なく兄は実家を出て、そこから疎遠になってしまう。
あのとき兄の尊厳はかなり失われたと思う。
この場を借りて謝りたい。ごめんね。
3歳年上の次男とも複雑な関係だった。
小さい時は仲良かったけど、僕が18歳頃から無視され始め、目すら合わしてくれなくなった。
(3.11のとき逃げるぞ!って言われて一緒にトイレ入った時を除く)
そんな兄も結婚して子供も産まれて、ほどよい関係性になったとき、腹を割って話す機会があった。
長男はお母さんのお気に入り。
末っ子の僕はお父さんのお気に入り。
僕と長男の名前は三文字。
次男だけ五文字。
ずっとコンプレックスだったらしい。
そんなこと全く考えたことはなかったから驚いたし、同情した。
次男だけ成績優秀だったのも、たぶん親に好かれたかったからなのかもしれない。
浜崎あゆみのsong for XXが脳内再生されてしまう。(居場所がなかった〜♪)
本当に今思い出したけど、次男はロックオタクなのに、あの浜崎あゆみの白黒のアルバムだけ一枚持ってたな…。
居場所のない自分とあゆを照らし合わせていたのかもしれない。(←うるせーw)
次男の結婚式では、父とも確執があった長男は家族ではなく次男の友達という位置で式に出席した。
式の前の両家のご挨拶。
父は「長男は式には出席していますが、友達席にいます…。」とモゴモゴしていて可哀想だった。
そしてお嫁さんの父の番、「○○には弟がいますが勘当して行方不明です。」って挨拶され、うちより遥かに強者すぎてワロタ。
そんなお兄ちゃんは薬剤師。
渡独一年目で僕は心身共に参ってしまい、医者に行く気力も語学力もなく次男に相談した。
途中泣いてしまうほど参ってしまった電話。
お兄ちゃんは「レッチリのメンバーも今元気だから大丈夫だよ!」っていう軽めの応援をしてくれた。
お兄ちゃんの言う通り、今は元気です。
あのときはありがとう。
そしてこの前お父さんから荷物が届いてたくさん日本の食材を送ってもらった。
その中に一枚だけタオルが入っていて、このタオルは去年謎にタオルを大量にくれたお母さんだと確信。
お父さんに確認したら、やはりお母さんからとのこと。
息子のタオル事情がよっぽど心配らしい。(お母さん、タオルこっちでも売ってるよ。)
そしてそのお礼をLINEして数週間。
返事はございません。
お母さん元気かな?
ではこの辺で。私の家族の話でした。
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