本木ひかる

自分が何を感じ、思い、考えているかを、書くという作業を通じて知りたいから、気が向いたと…

本木ひかる

自分が何を感じ、思い、考えているかを、書くという作業を通じて知りたいから、気が向いたときに書いていく。誰も読んでいないかもしれないが、たまたま誰かの目に留まるかもしれない、という文章空間としてnoteを選んだ。

最近の記事

「話してくれてありがとう」に湧き上がる強烈な違和感

  誰かにつらい思いを打ち明けられたとき、相手に「『話してくれてありがとう』と伝えましょう」などという "アドバイス" を目にすることが増えた。  「はあ?」と思う。むかむかする違和感。「ありがとう」が正しい教えのようになってしまって異論が聞こえてこないことにも、強烈な違和感と苛立ち。話し手は、経験そのものにも、簡単には打ち明けられずに一人抱えてきたことにも、苦しんできたはずだ。感謝されたいわけじゃないだろう。たとえば病気して病院に行った時に「来院ありがとうございます」って言

    • げんなり

       「気に入らないなら使わなけりゃいい」ことは承知の上で、書く。  画像を貼れ、読者を引き付けろ、などといちいち促してくるnoteの仕組みにげんなりしている。  私がここに書き散らしている動機は「自分が何を感じ、思い、考えているかを、書くという行為を通じて知りたいから」という一点に尽きる。日記のように完全に私的な書き物は、私にとってその用を果たしてくれない。誰も読んでいないかもしれないが、たまたま誰かの目に留まるかもしれない、という文章空間を私は必要としている。そのツールとして

      • 「そしてなにより、サービスの受給者が、スピードアップを望んでいない。」  ――斎藤幸平『人新生の「資本論」p.314』 スピードアップが望まれていない仕事に、私はシフトしていくべきだ。その前提で、自分はどんな仕事がしたいのか。どう役に立てるか。労働の魅力をどう取り戻せるか。

        • 退屈している

           退屈している。もうずいぶん長いことそうだ。何かしてみたいという気はあるが、かといって、これといってしたいことも特に何も思いつかない。手っ取り早いのは習い事だろうが、何でも好きに習い事を始められるほど小遣いに余裕があるわけでない。そもそも、金銭的に余裕があったところで、たぶん同じだろう。出かけて行って新たに人と交わること自体、億劫このうえない。  そもそも、自分が何を望んでいるかもよくわからない。これももうずいぶん長いことそうだ。「仕事をなるべく早く片付けて」となんとなく毎日

        「話してくれてありがとう」に湧き上がる強烈な違和感

        • 「そしてなにより、サービスの受給者が、スピードアップを望んでいない。」  ――斎藤幸平『人新生の「資本論」p.314』 スピードアップが望まれていない仕事に、私はシフトしていくべきだ。その前提で、自分はどんな仕事がしたいのか。どう役に立てるか。労働の魅力をどう取り戻せるか。

        • 退屈している