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旅路よ長かれと思うこと。

私にとって、この2年半は、「企業変革についての本を書いている」といろいろな人に言い続けた時間であった。それは自分に「さあ書くのだ」と気持ちを盛り上げるために言っていたところもある。
先日、一通り原稿を書き終え、まだこれからも直すことはたくさんあろうが、自分としては大きな山を超えたという気持ちでいる。
今の気持ちが失われるよりも前に、少し活字にしておきたくてこの文章を書いている。


一度書き終えて。

(暫定的ではあるものの)最後の一行を書いたとき、私の心の中にはバッハのゴルトベルク変奏曲の最後の第30番変奏曲が流れていた。この変奏曲は、ゴルトベルク変奏曲の、いわば結論のようなものである。

私はこの本を書かねばならない、書かねばならないと2年半ずっと苦しんできた。なぜならば、私はそもそも変革ということを最も自分の大きなテーマとしてこれまで研究をしてきたと思っているからだ。
だが、執筆は孤独で、辛く、苦しく、悩み、痛みを伴う時間であり、どう企業変革という大きなテーマに切り込んだら良いのかと、一人思案し続けた。
もちろん、助けてくれる人もいた。だが、やはり書くのは私であり、新たに大きなテーマで、書く中で自分が変わらなければ、全く書くことは不可能だった。

前著の出版とその後

前著『組織が変わる』が出版されたのは2021年4月、新型コロナウイルスのパンデミックの真っ只中でのことだった。
本当に苦しい時期であり、リアルイベントはゼロの中で、読者は一体どのように自分の書いた内容を受け止めてくれたのかと気になったものであったが、それは別な言い方をするならば、自分が語ることが、顔が見えない中に放たれるという得も言われぬ恐れの感情でもあった。

この本で述べたことは、企業において変革をしようとする上で、目の前に見えている問題をすぐに解こうとするのではなく、問題の構図がどのようなものかを掘りさげ、背後に潜む問題に手を付けていくことを積み重ねていく、という考え方と方法であった。
特に、「組織の慢性疾患」というアイデアを示せたことが自分にとっては大きなものがあった。一般的な変革論は急性期の症状に技術的に挑むものであり、そこに取り組むか取り組まないか、の問題だと言うことができる。
だが、今日の成熟した企業の変革上の問題は、慢性疾患的である。
原因も症状も複雑であり、正直どこから手を付ければ変わっていくのかわからないし、変革に踏み込むにも決め手がない。
だから、そうした複雑な問題は放置されたままになりがちであり、わかりやすい技術的問題解決のツールばかりが取り入れられていく。だが、それとて問題の複雑さの前に機能せずに挫折することを繰り返しているように見える。
だからこそ、それを紐解き、一歩ずつ変革していく対話的な方法を示すことができたことについては、自分としては、今でも自分の思索にとって重要な位置づけにある。

だが同時に、課題も感じていた。
コロナの時期においてもより明確になったことのひとつは、日本企業の変革の必要性ではなかっただろうか。
そのことを思うと、経営層が戦略を刷新したり、事業ポートフォリオを変えたり、そうした企業組織全体の変革(いわゆる企業変革)をしようとする上で、どのように自分の考えてきた対話的な方法というものが寄与するのか、これを真剣に考えてみることが絶対に必要であると思うに至った。企業変革について書かなければ嘘だというか。

とはいえ、書こうと思ってすぐ書けるものではない。
2年半の間、自分が書くべき企業変革論とはいかなるものか、今日の企業の経営課題は何か、それに対してどう自分の考えてきたことは有用であるか、全てが手探りであった。
様々な企業の方との接点から、ディスカッションを重ね、断片を拾い集めて、大きなジグソーパズルを解こうとするような作業は、本当にこれが終わるのだろうかととても焦り、何度も挫けそうになった。
いや、実際何度か挫けて、前に進まなくなったこともあった。ただ、進まないことを良しとすることはできず、進まない、進められない自分を一人で責めたりしていた。
そうしたところで、進むわけもなく、ただひたすら孤独で、辛く、苦しく、長い時間になった。
そんな中でも講演の依頼なども色々といただくので、その中で自分の思索を深めながら、毎回同じ話はしないという自分のポリシーを全うすべく、少しずつ議論を深めるよう、力を尽くした。
果たして自分が語ることは意味があるのか、ズレていないか、表面的な議論に終わっていないか、何度も悩みながら話したり書いたり、止まったり、インプットしたり、そして考えたり、消して書き直したり、ということを繰り返し続ける日々であった。

そうした塹壕戦のような時間を2年以上続けてきたが、なんとかひとまずの地点まではたどり着いた。まだ明確な終結点についたわけではないから、安心をするのは全然早いことは言うまでもないが。

書く苦しみ、生きる苦しみの中で

しかし、この終わりの見えない塹壕戦の中で、自分をどう保つか。
もはや執筆は生きる苦しみとなって自分に日々迫ってきていた。
その中、今年の9月、自分はたまたまある言葉にたどり着いた。
それは、道元の「放てば手にみてり」という『正法眼蔵』の「弁道話」の冒頭に登場する言葉である。
それは、この動画に抜粋されているEテレの「こころの時代」を見ていたときだった。ドイツ人の禅僧であるネルケ無方氏の言葉の中に、それは現れた。

人間の生きる苦しみの根源は、何かの目的に照らして自分の境遇を評価しようとすることによって生じる。目的に照らして評価すれば、欠乏が生じるのが人間存在である。
自らの力をより向上させようと努力することで、なんとかこの苦しみから開放されようと人間はもがく。何かを得ようとして、人間は苦しむ。その苦しみから何かが得られれば、人間はひととき、幸せだと思うかもしれない。だが、次のひとときには、また別な目的に照らして、苦しみを得ていく。
私はそれが人間の成長というものではないかと漠然と考え、そして、過去において、自分は漠然と、自分がより成長することによって苦しみから開放されるのかもしれない、と思っていたように思う。

だが、何かが得られなければ、その人の人生は空虚なのであろうか。意味がないのであろうか。
そのことについて、この道元の言葉、あるいは、ネルケ無方氏の語る言葉を手がかりに考えたとき、私は一つのことに気がついた。
それは、書き進むことができなければ自分の人生に意味がないとどこかで思い込み、それによって私自身が苦しんでいたということである。
人生に無理やり意味をもたせようとして、私は自分を苦しめていたのだ。

人生にはそもそも意味がない。別な表現をするならば、人間に人生の意味を規定することはできない。
そのことを私はどこかで恐れていた。
だが、そうではない。
書き進むときも、書き進まないときも、いずれの時も、私は生きているという厳然たる事実に勝るものはないのである。
私は孤独で苦しい時を生きてきた。
その結果がどうであったとしても、その事は生きてきたというひとときひとときの積み重ね以上に価値を持つものではない。

ここまで書いてきて思うが、私がこの言葉に共鳴するのは、もしかすると変革として自分が描こうとしてきたものと、この考え方がどこかで重なるからかもしれない。
無論、企業変革は目的的である。だが、私の議論は長い目的に照らしたものである。
焦らず、在ることを見定め、日々為すべき事を為す。
無論、禅の境地とはほど遠いものもあるかもしれないが、私にとって何か大切にしているものが、自分の著作の中にも何か示すことが出来ていたならばと思ったりもする。

旅路よ長かれ。

コンスタンディノス・カヴァフィスの詩を2023年の新年の挨拶に引用していたことをふと思い出す。
そこにはこう書かれていた。

君がイタケに向けて旅立つとき
どうか君の旅路が長いものでありますように、
それが冒険に満ち、知恵に富んだものとなりますように。

コンスタンディノス・カヴァフィス「イタケ」より

目的地に短く早く到着するべきだという思いを持って旅路を行くとき、移動する時間はなんの価値も持たず、ない方が良いだろう。
だが、旅路よ長かれと思うとき、旅路において起きる様々な出来事は、無駄なものではない。
私は長い荒れ地の旅路を歩んできた。もうすぐひとつの街に到着するだろう。
到着することで見出す風景もあろう。
だが、旅路を歩んできたことは、到着地にたどり着いても着かなくても、変わらぬ事実である。
そして、この先にも続く長い旅路においてもまた、どこかを目指して歩むのかもしれない。
その時もまた苦しく、焦ったり悩んだりするだろう。
だが、そのこともまた一歩の歩みであり、歩む地面も、生きる空間も、それらは私そのものである。
荒れ地を歩もうとする一歩の歩みこそが、無上の喜びである。


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