哲学とデザイン
哲学を勉強しはじめました。
今日は、哲学とデザインの交わりについて考えてみます。
普段、生活をしていて 当たり前のことが疑問になり、考え続けたりすることがあります。例えば、「考える」とは何か。
とか。
哲学は、当たり前に目を向け、その本質を問い、考えるという活動だと思います。一方、デザインは、自然や人工物がもたらす事象を、生活の一部を担う道具として、目に見える形にし、生活を豊なものにする活動であると思います。
人の生活を豊にしていく上で、人がそもそもどうあると良いのか、本質は何か。哲学が、何か助けてくれるのではと思い、勉強し始めました。
世界を見渡すと哲学とデザインについて書かれている情報がいくつかあるはずです。
どの文献を読むとヒントになるのか分からないので、見つかったところからピックアップし、読んでいくことにしました。
毎日考えることができる生活こそ楽しいはずなのに、機能的に作られたものばかりに囲まれてると、考える時間がなくなっていく。
「考える力」「作り出す力」を失っていく人々。機能的に完成したものが溢れている世の中では、便利なことが周りを取り囲んでいて、(極端にいうと)考えることなく、生活をよくしていくことができる。
考える力、作り出す力 を今一度見つめ直さなくていけないのだと感じたメッセージでした。考える力の行き着くところは哲学であり、作り出す力はデザインなのではないか。
鞍田氏
哲学って、端的に言うと「問い」だと思うんです。「そのデザインに哲学はあるか?」を言い換えると「そのデザインに問いはちゃんと潜んでいますか?」ということ。
機能的に便利になり、プロダクトの差がほとんどなくなった先に、ユーザーがプロダクトに求める価値は何か。それは、「考える」ための問いを引き出してくれることではないか。という理解をしています。とはいえ、課題を解決するデザインが行われていることは前提だと思います。
私は日々、AIのプロダクトをデザインしているのですが、AIというものについて、どう考えていくのが良いか。
問いを考える力を助ける、サジェスチョンのような機能はその一つかもしれません。一足飛びに答えが提示されるのではなく、ユーザーの思考に合わせ問いの視点を提示し、進行していくような、共創していくプロダクトを目指すことになるのでしょう。
「本当にこれで良いのか?」と、際限なく続くのでは 機能的な価値が損なわれてしまう。問いを生み出す仕組みと、納得と完了がバランスよく起きるようにデザインされていることが求められるのではと考えてます。
全くまとまりませんでした。
まだ旅は長そうです。
この本にもヒントがありそうです。
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