独生女神学の中に見えるフェミニズム神学 PUTI論叢「摂理と状況」序文より

フェミニズム神学が家庭連合の教理に表れたのは、2012年に出版された「真のお母様の生涯路程」である。この本は、メアリー・デイリーの「父なる神を越えて」を参照している。
文鮮明総裁が聖和(逝去)された2012年9月以降から家庭連合では「父なる神」を「天の父母様」と呼び始めた。原理講論では、神を論理学(logic)的に神の存在位相と格位を明らかにした。つまり「神は二性性相の中和的主体としておられ、被造世界に対しては男性格主体としておられるので「父なる神」と呼ぶと説明した。ところが「真のお母様の生涯路程」に記述された「天の父母様」は、両性性(bigender)の神であり、二元論(dualism)的な神として説明されている。神は男性格としての父と女性格としての母の「二性」であり、そのため天の父母様である。男性格である父なる神の実体として、地上に降臨した「男性メシヤ」がいるように、女性格である母なる神の実体として地上に降臨した「女性メシヤ」もいると説明する。このように男性格の「神」と女性格の「神」、そして男性格メシヤと女性格メシヤとを対照させて説明している。神とメシヤに対するこのような見解は聖書的でもなく、原理講論の否定でもある。この神観とメシヤ観の根拠とアイデアは、ラジカルファミニストであり、自らをレズビアン神学者として紹介しているメアリー・デイリーの「父なる神を越えて」から影響を受けてアイデアを得たということを「真のお母様の生涯路程」の付録に収録されている内容物からそれとなく知ることができる。
 
韓女史の自叙伝である「平和の母」序文には「人類の歴史は男性たちが主導したため、女性格である「天の母」の地位は隠蔽されてきたために、フェミニスト運動は男性支配に抗する革命的運動にならざるを得なかった」と書いてある。この主張は社会主義フェミニズムを創始して、それが米国のレズビアンたちが主導したのと同じものである。
これらは、アメリカンフェミニズムとも呼ばれる急進主義フェミニストたちのグル(Guru)、ヘルベルト・マルクーゼが主張するジェンダー歴史認識を反映している。マルクーゼは、自らをレズビアン神学者として紹介したメアリー・デイリーをはじめとする急進主義フェミニストたちに「人類歴史は男性が主導したため、対立・闘争・暴力・戦争の歴史で散りばめられた。今や、その男性たちは痛い目を見る必要がある。この男性たちの男性性(masculinity)は母性愛を持っている女性たちの女性性(femininity)によって去勢され中性化されなければならない」と主張した。
 
昨年5月「独生女神学」という本が出版された。この本は2014年から2023年まで韓女史が主張した、いわゆる「独生女論」を鮮文大学校神学大教授らが神学的に理論化した内容を含んでいる。「独生女論は本然のみ言葉だ。そのため、統一原理や他の宗教の教理では独生女論を説明できない」とし、フェミニズム神学を模写して独生女論の神学化を試みた。この「独生女神学」では、クィアたちの教母であり師とも言える「ジェンダートラブル」の著者ジュディス・バトラーも紹介されている。
 
男性が支配する家父長制システムを否定して、聖書と歴史の中に隠された女性性と母性愛を神学的に表わそうとした急進主義フェミニズムは、ジェンダー神学として、またクィア神学として弁証法的な発展をしていった。メアリー・デイリーから始まった急進主義フェミニズム神学は、男性による家父長的観点によって書かれた聖書の中から女性性と母性愛を見つける神学だった。その娘格である「ジェンダー神学」はより進んでいる。彼らは「男性性が支配し君臨する家父長的家族の解体と父性愛との政治闘争」を宣言するが、家族が解体され、男性性と父性愛が消えた跡には、女性性も母性愛も存在できない。何故ならば、男性性と女性性、母性愛と父性愛は構造主義的観点から見ると二項対立的な関係だからである。統一原理的観点では、二性性相の相対的関係である。結局、ジェンダー神学によって消失された男性性と父性愛。そして次に来る家族解体後は、必然的に虹のように多様な色を持っている性的アイデンティティと家族アイデンティティを主張する「クィア神学」が、弁証法による否定の否定の段階を経て出現するほかないのだ。
弁証法的論理学の観点から見ると、フェミニズム神学もジェンダー神学もそれ自体の内部に自己矛盾を持っていることを反証するものだ。男性と女性、男性性と女性性、父性愛と母性愛という創造本然の秩序である二性性相の相対的関係を、対立闘争する二項対立の関係で説明する構造主義は、必然的にポスト構造主義という変種混合物に出会って、性と家族のアイデンティティ解体による自己破滅を迎える運命となるのだ。急進主義フェミニズム神学とジェンダー神学の間を行き来している「独生女論」と、これに盲従する神学者たちが出した「独生女神学」は、性アイデンティティと家族アイデンティティを虹のように多様なものと信じているクィア神学への道まで行くことになるのだろうか?
 
 

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