旧統一教会と韓国儒教 米本ブログより

神々の黄昏さんの論考
アットランダムな若干の注解&感想
(1)何気ない一言だったが、私にとって印象的だったのは、冒頭の前口上のところで紹介した教団中央幹部の言葉であった。「うちのことを理解するには韓国の儒教のことを知らなければならない。最近、韓国のドラマをみて、そのことがつくづくわかったよ」彼の実名を明かせば、「えっ、あの人」と驚くような人である。その人が今日に至って、統一教会と儒教との密接な関係を認識したのである。私にとっては衝撃的な呟きであった。なぜなら、統一教会を教会員のみならず私たちが理解するには、統一原理だけでなく、韓国の儒教のことを知らなければならない!-というわけなのだから。

韓国人以外の統一教会員にとって理解できないのは、統一教会の根底にある伝統的な儒教の影響です。李氏朝鮮時代から脈打つ朝鮮型儒教の伝統精神はかなり根強いものであり、韓国の人々が理想を論ずる時には必ず儒教の伝統精神が頭をもたげてくるようです。その典型こそが統一教会であり、さらに朝鮮民族として見れば北朝鮮の独裁国家体制がそれを物語っていると言えるでしょう。
この二つには興味深い共通点があります。統一原理はキリスト教を発展させた形で誕生しており、キリスト教的な博愛主義を唱えたりしていますが、現実の組織体制は絶対主義的な支配体制とも言えます。北朝鮮は共産主義を標榜していますが、その権力構造の実態は金王朝の独裁体制であり世襲的な一族支配を続けており、言うまでも無く共産主義とは別物です。統一原理も北朝鮮の共産主義思想も、本来の思想そのものは“万民の平等”を認めていますが、朝鮮型儒教の影響は民族的体質として染み付いているようで、作られた組織体制の中で権力を握ってしまうと、その民族的性格が暴発してどうしても独裁的なものとなり、万民平等の民主主義的な体制を築く方向には、統一教会と北朝鮮の権力者は向かわないようです。

儒教には人間関係の秩序と区別が基本としてある。家族のように上下の構成が明瞭な人間関係においてはその矛盾が表れたりしないのです。しかし、上下関係ばかりではないのが現代社会であり、その中で上下秩序の教えを貫き通そうとすると無理が生じ、世界的な浸透は困難であり、現代の宗教としては多くの問題点があることを否定できません。
中略
儒教思想によって、上に立つ者は徳のある者でなければならないという考えがある為、何を行うにつけても自己正当化することになり、たとえ過ちを犯したとしても、その非を自分では決して認めないことにもなります。某宗教団体の韓国人幹部に見られる見栄っ張りの性格や平気で嘘を突き通そうとする習性は、その両班の伝統に由来していると考えれば全てが納得できます。
韓総裁にも見られる「真の父母として誰からも崇められなければならず、自分がすることは絶対善であり、その意思は何よりも優先され、その行いに批判されるような間違いなどあるはずがない」という発想は、間違いなく統一原理によるものではなく儒教思想と両班の伝統によるものです。韓総裁や、さらには文先生にも色濃く影響している朝鮮型儒教思想と両班の民族的伝統は日本人にはなかなか理解しづらいものです。
中略
結果には必ず原因がある」とは原理講論の基本である因果律ですが、現在の統一教会に統一原理と矛盾した様々な問題が生じたのは結局、創始者の実質的な宗教思想と教会員に対する実際の指導内容にその問題の根本原因があると考えなければならなくなり、現在の統一教会には深刻な問題があると考えるならば、当然創始者であり最高権力者であった文先生の思想や宗教活動について、何が間違っていたのか追究せねばならず、その宗教思想と実践を改めて評価し直さねばならないことになります。その文先生に対する再評価については、反対派牧師がするような完全否定では何の解決にもならず、米本さんが思考するような「是々非々の考え方」でこそ、より発展的な問題解決が可能になるのであり、そのような過程を通してこそ原理講論に書かれた真の理想世界を実現する道も開かれてくるのです。
そのような真の理想の実現を目指す為には現在の統一教会組織を支配する朝鮮型儒教思想の害悪について真剣に考えなければならないと言えるでしょう。文顕進氏支持者が指摘しているような統一教会組織の問題を解決する為には、その朝鮮型儒教思想の影響から完全に脱却する必要があると思われます。
今回の記事にある「王妃様」のことや、その後継者のことも統一教会組織の根底に儒教思想があるから起こる問題であり、統一原理の中に存在する朝鮮型儒教の影響はまさしく“転移する癌”だと考える自分にとっては文先生一家の問題も「神格化された両班の末路」の物語としか思えません。
それが韓国社会に注目されたりするのは、やはりそこに絡む莫大な金額の経済問題があるからだと思われます。もし韓国統一教会に日本から多額の資金が投じられていなかったならば、宗教としての韓国統一教会が悪いこと以外で注目を浴びることはなかったのではないでしょうか。結局、朝鮮型儒教思想から脱却しない限り統一教会も李氏朝鮮王朝と同じ運命を辿るのではないでしょうか。


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