母方の祖父について話す

今日で祖父が亡くなって9年になります。ふと思い立ったので祖父の話でもしようかと。タイトルにもある通り母方の祖父です。最近ウマ娘から競馬を見始めた頭では母父だなと思います。ゴールドシップとマックィーンの関係と同じですね。父方と合わせた祖父母4人の中では一番似ていると思っており、今でも自分の生き方に大きな影響を与えています。そんな自分にとって偉大なる祖父の話です。

まず、収集癖と音楽の趣味と食の好み、色々なものに興味を持つところやアルコール分解の遺伝子は確実に受け継いでいますのでそこらへんの話を。
まず祖父は全く酒が飲めませんでした。その妻である祖母がめちゃくちゃ強くて、父方の祖父母は分かりませんが父は強い方です。この時点で少なくとも飲めはするが強いか弱いか分からない状態でしたが、二十歳の誕生日に酒を飲んだらビール1杯でダメでした。ここで祖父の遺伝だと確信しました。また似たような遺伝で食の好みも似ていました。祖父、母、自分と三世代揃って胡瓜が嫌いです。血が薄まったのか自分や母は食べはするのですが、祖父は皿に手をつけなかったと聞きます。
また祖父は骨董品を収集するのが好きでした。生前に色々と教えてもらったのですが、かなり高く売れそうな品がいっぱいありました。でも値打ちのなさそうな物も集めていました。天秤とかラジオですね。集める物にも流行りの時代があったみたいです。割とカテゴリー分けして集めるのは自分も好きなので、しっかり遺伝しているなと思うし、それを感じてか祖父も自身のコレクションを自分に託そうと色々と話してくれたのでしょう。
そして色々なものに興味を持ち、かなり幅広い知識を持っていました。自分も色々と調べて覚えたことをよく他人に言ってはよく知っていますねと言われるので、こういうところも似ているのだと思いました。

本来ならもう少し生きられたと思うのですが、寿命を縮めた原因は煙草でした。10代の頃から吸っていたという話を生前聞きました(時代ですね)。それで肺をやられて晩年は呼吸器を付け、文字通り息も絶え絶えな状態で「煙草はいかんよ」と言っていました。身内だから言うのですが、お前が言うなという話です。身をもって教えてくれたと言われればその通りですが。おかげさまで若干の嫌煙家です。ありがとう。

またあの時代にしては珍しく、職を2回ほど変えていたらしいです。これは祖母から聞きました。興味の幅が広かったところなど色々な要因もあったのかなぁと感じています。いずれ自分もそうやって職を変えていくのかもしれないと思いました。

そんな祖父の話を書き散らしました。亡くなる1週間前に「ちゃんと遺伝子は自分の中に生きとるよ」と言えたのでそれは良かったかなと思います。祖父よ、ちゃんとあなたの遺伝子は継がせるからな。

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