遷延性意識障害になるまで
今年の1月に路上で倒れて意識不明で緊急搬送されました。
夫はアルコール依存症でした。断酒をしていたはずが、私に隠れて飲んでいたようです。
この日も私がいない隙にスーパーに行き、お酒を買いました。しばらくしてもう一度お酒をもってレジに現れた夫は酩酊状態でフラフラしていて店員さんが心配して後を追ってくれました。そうして自動ドアを出たところで倒れていたそうです。
いきなり人が倒れたので警察にも通報されたようで、その警察から私に連絡がありました。(交番に預けていた緊急時の連絡先から調べたのだと思います。預けておくものですね。)警察からは、防犯カメラに倒れる瞬間は映っていなかったものの前後に他の人は映っていなかった、誰かに殴られた等の事件ではないと言われました。
警察からの連絡を受けて、子ども達を保育園に迎えに行ってから病院に向かいました。所持品を返されましたが、その中にワインボトルが2本ありました。しばらくして意識が戻ったとのことで、ベッドのそばに行きました。
医師から最近の様子を聞かれたり、検査結果を伝えられたりしました。
年末、体が浮腫んで肝機能が落ちているからと治療していたこと、年明けに再検査を予定していたが体調不良が重なってまだ受けていなかったこと、最近は床に伏していて食事も「いらない」とほとんど食べていなかったことを伝えました。治療していた病院名を伝えると、「ではその病院に検査データを問い合わせる」とのこと。
医師からは、血小板、白血球がほとんどないと言われました。だから倒れた際の鼻血が止まらないと。
年末の浮腫みで夫から診断結果は聞いていたものの「ストレスが原因ではないかと言っていた」ことを鵜呑みにして、アルコール性肝障害に気付きませんでした。昨年秋ごろから転職活動をしており、落ちたり内定が決まったりとストレスが掛かっていたこと見ていたのでそれを先に想像してしまいました。
私から夫へは「こんなこと繰り返していたら死ぬよ!?」と言うと「死にたくない」とは言っていました。残念ながら反省は感じませんでしたが。
月末で家賃支払いのために夫の給与振込口座のインターネットバンキングにアクセスする必要があったので、パスワード管理アプリのパスワードを聞き出しました。ただし、酸素マスクを着けていたので、正しく聞き取れなかったようで、結局パスワードは分からずじまいになっています。家賃は貯蓄を切り崩して払いました。
次の日、週末だったこともあり子ども達と家で過ごしていたところ、まず夫の今後の治療方針についての電話がありました。精神科を受診してカウンセリングを受けた方が良い、と。
その1、2時間後再び電話が鳴りました。看護師からで「容体が急変した」と。
緊急搬送されていたので病棟は未就学児が入れませんでしたが、子ども達を置いて行く訳にもいかないので、午後の習い事の用意を持たせて病院に向かいました。
病院に着くとしばらくして個室に案内され、医師から経緯が話されました。
この日も意識があり、車いすでトイレにも行っていた。急変する直前も「トイレに行きたい」という申し出があり、看護師が車いすを取りに離れた間に心停止した。救命処置をして心拍は回復した。急な心停止の原因を調べるために心筋梗塞などの検査をしている。
意識が戻らないので子どもの習い事は休むことにして、そのまま病院に残っていると、もう一度医師に呼ばれ話を聞くと、前日にも話があった「血小板の不足」のせいで心臓マッサージで傷ついた肺からの出血が止まらないということだった。血小板の輸血をしているが、出血が止まらないと肺が自らの血で満たされて溺死となる可能性がある、と言われた。親族に連絡した方が良い、と。
夫は両親が他界しているので、二人の義兄に電話し、来てもらうように伝えました。男兄弟だからか、私から見て関係が疎遠に感じる彼らも仕事を切り上げ駆けつけていました。途中、私の母も来てくれていて、子ども達は母に預けました。私も面会時間が終わる頃に義兄に送ってもらいました。
聴力は最後まで機能しているとよく聞いていたので、翌日から通える日は病院に通い、夫のスマホを耳元において曲を流していました。回復の助けになれば、と。
2週間が過ぎた頃に医師から脳波を調べたところ平坦だったと言われました。脳波がないということです。脳死なのかというと、わずかながらも自発呼吸をしているし、瞳孔も拡散していないから違うようです。脳波が回復することはないのか聞いてみると、奥歯に物を挟んだ言い方をしながら「良くて高次脳機能障害だ」と言われました。
それを聞いて、その時点で私は自営業で働いていましたが、安定した収入を優先して正社員への転職活動を始めました。
しばらく人工呼吸器が外せず、経口挿管だったものが気道切開しましたが、2ヶ月ほどで自発呼吸のみになりました。ただ、痰の吸引のため今でも管は繋がったままです。
そのまま意識が戻らず、3ヶ月が過ぎた4月に医師から話があり、「脳波ももう一度検査したが、変わらないため、今後は検査、治療をしない」、「体調の変化があった場合も、発熱などに気付いてから行うなど発見が遅れるでしょう」、「患者さんに執着せず、患者さんなしの生活を構築していくように」、と言われました。医師、特に救急救命に携わる方は人の命を助けるために日夜ご尽力されていると思います。その方から「夫の回復を期待しないように」と言われるということは、その可能性がないのだと確信しました。患者にとっては厳しい言葉が続いていますが、子ども達も小さく、残された家族の生活にも気を遣ってくださっているのだと思いました。
ただ、一度目の検査で脳波がないと言われたときに覚悟して転職活動を始めていたので、「知っていること」を改めて言われただけと思い、私はさしてショックを受けていませんでした。医師との温度差を感じ、途中から恐縮していました。
そうして正式に「遷延性意識障害」と診断されました。