旅の始まりとエッセイの開始
はじめまして。Motoと申します。
今後、様々な旅のトラブル話をエッセイ形式で書いていくにあたり、簡単にですが、自己紹介をしたいと思います。
僕は、神奈川県の茅ヶ崎市という海沿いの街で生まれ育ち・海遊びを中心に生活をしてきました。旅というと、父親が休みの際に、家族で行く国内旅行が中心で、海外は1度だけ「ハワイ」に行ったことがありました。正直、特に旅が好きな少年ではなかったし、大学生の終盤に差し掛かるまで、興味もありませんでした。
しかし、大学3年生の時に、有名な写真家が撮影した海外の写真を見る機会があり、様々な写真集を見ていく中で、“海外・旅”にも興味を持ち始めます。そして、「自分もカメラ片手に海外を旅して、写真を撮りたい!」との思いを抱きました。その後、在学中は海外へ行くことは出来ませんでしたが、卒業後に働きながら旅する費用を貯め、2006年2月、23歳の時「インドに行けば人生観が変わる」という、どこか曖昧な言葉に興奮し、インドを皮切りに、東南アジア3か月周遊の海外一人旅へと出発します。
「インド」の首都ニューデリーの玄関口、インディラ・ガンディー国際空港に到着した時の事は、今も鮮明に記憶に焼き付いています。空港内の照明は暗く、日本とは違う生温い空気がドンヨリと流れ、ツンっと刺激を感じる匂いが充満し、そして、空港から出てくる人を待ち受ける大勢のインド人。日本から10時間経つと、こんなにも世界は変わってしまうのか! と衝撃を覚えると同時に、大きな不安も押し寄せて来ました。
空港からタクシーでホテルへ向かう道中では、タクシーは車線を守らず、僕の体は左右に揺れ続け、行き交う人々は、信号も守らず、目の前を縦横無尽に走り抜けている。何より、砂埃が舞い、オレンジ色に灯された街中で生活する人々の姿に異様さを感じ、「3か月も旅することが出来るのであろうか?」と、早くも挫折しそうにもなりました。
ホテルに到着した後は、ガイドブック片手に、1キロ先の目的地、多くのゲストハウスが集合するエリア「パパールガンジー」までの行き方を、ひたすら記憶する作業を繰り返します。そこで、世界各国のバックパッカー達と合流し、本格的に旅がスタートする! その事を考えと胸がワクワクしましたが、結局、どんなに予習をしても不安な気持ちを拭い去ることは出来ませんでした。
朝になると、ホテルの中まで聞こえてくる街中の喧騒とインド人の話し声に起こされると「やはり、ここは日本ではなく、インドなんだな」と、深い溜息も出ました。でも、「不安はあるが、行動するしかない!」と、日本を出発する時以上の決意をし、慣れないバックパックを背負い、ホテルの扉を開け、インドの街中へと降り立ちました。これが、今に続く、旅のトラブルの幕開けとなります。
3か月の東南アジアの旅では、楽しいこと・泣きたいこと・辛いこと、など色々とありましたが、無事に帰国をしました。時には、命の危険を感じるほどのトラブルもありましたが、これまでの価値観とは違う景色が広がり、世界の一部にも触れ、たくさんの写真を撮る事も出来ました。この3か月の旅は、僕の財産だし、旅の原点だと思います。そして、この時の体験があるからこそ、帰国後から今まで、仕事をしながら時間が出来ると、海外や国内の島を中心に旅を続けています。
その行く先々で毎回…ではありませんが、各地を旅し、頻繁にトラブルに巻き込まれているのが、僕の旅の特徴だと考えています。それは、旅力の無さなのか、そういう星の下に生まれたのか、それとも、旅をする全員が直面するトラブルなのか、分かりません。旅をする中で、命がけのトラブルだけではなく、クスっと笑ってしまうようなプチトラブルの経験もしてきました。友人たちに対し、僕が旅のトラブル話をすると、面白がって聞いてくれ、共感をもらう時もありました。そして、次第にこれら旅のトラブル体験を“エッセイ”として、まとめていきたいと思うようになります。それは、自分の旅の振り返りと合わせて、読む人に対し、僅かな情報提供と、少しの“笑い”を共有することが出来るかもしれない、と考えたからです。
僕は、都内でサラリーマンをしながら、時間があれば旅に出る「旅好き」でしかありません。一度だけ、知り合いの”お師匠=尊敬する旅作家”から、エッセイの書き方を指導してもらいましたが、慣れない部分も多く、読んでいただける方に満足してもらえるような内容にはならないかもしれません。でも、文章の素人にしか、書けないこともあると信じ、過去の記憶を辿りながら、一生懸命、書いていきたいと思いますので、温かい目で、お読みいただけると嬉しいです。
宜しくお願いします。
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