芝居手
沖縄県空手道連盟主催「県空連発足十年を語る座談会」で、宮平勝哉(小林流)が国体での空手競技の感想を聞かれて、以下のように発言している(注1)。
島根国体というのは昭和57(1982)年に島根県で開催された第37回国民体育大会「くにびき国体」のことである。そのときの空手の型競技を見て、宮平先生は芝居手(しばいでぃー)という感想を抱いたということである。
見た目の美しさを競う。あるいは「芝居」が意味するように、芝居がかった、大げさでわざとらしい演武。そういう意味であろう。要するに、演武における「作為性」を戒める言葉である。
さて、当時の空手競技の動画がYouTubeにアップロードされている。
動画の中で短いながら型の演武も写っているが、今日の型演武と比べると、まだ素朴でそれほど芝居がかかっていない印象を受ける。
今日の演武はよりダイナミックに、緩急をつけて、顔の表情も凝らして、大きな気合や音が鳴る空手着を着たり、重心が低く見える長めの帯を締めたり、より演出を意識したものになっている。
とはいえ、宮平先生のように戦前の空手家を知っている人から見ると、島根国体の演武は十分芝居がかっているように見えたということであろう。
宮平先生は知花朝信以外にも本部朝基にも数ヶ月間師事されている。筆者は子供の頃、宗家(本部朝正)から型の中で気合を発するように言われたことがなかった。そもそも気合は沖縄にはなかったのではないであろうか。おそらく本土で型競技が始まって、審判員にアピールするために気合を発するようになったと思われる。
本部御殿手でも、上原先生が大阪に来られた時に気合について説明を受けた覚えがない。1990年代に他の流派の演武とくらべて、あまりに寂しい印象を与えるので沖縄では公開演武の際、気合を発するようになったとは聞いた。
ちなみに、上原先生によると、昔の沖縄には「スラ手」と呼ばれる奇声を上げたり、体の一部を叩いて鳴らすような技法があったらしい。ただそれは実戦の際の「威嚇」のようなものであって、型の演武での気合ではない。薬丸自顕流の「猿叫」のようなものであろうか。
スラ手の話も、本部御殿手以外では読んだことがないので、大正時代にはすでに忘れさられた技法だったかもしれない。
注1 沖縄県空手道連盟編『沖縄県空手道連盟 創立十周年記念誌』宮里栄一(発行人)、1991年、63頁。
出典:
「芝居手」(アメブロ、2016年3月10日)。
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