祖堅方範と名嘉真朝増
空手の歴史を研究していると、こんな疑問を抱くことがある。それはある流派の型がいつのまにか増えていって、その過程が明らかでないというものである。
たとえば、沖縄の小林流の開祖は知花朝信であるが、知花先生は何種類の型を教えていたのであろうか。小林流の道場の中には、50種類近い型を教えるところもある。
小林流のある先生によると、知花先生が実際に教えた型は以下の通りだったそうである。
・ナイハンチ(初段~三段)
・ピンアン(初段~五段)
・チントー
・パッサイ(大、小)
・クーサンク―(大、小)
つまり、知花先生が教えた型は13種類であった。それゆえ、これら以外の型は、知花先生以外から来たことになる。たとえば、小林流の五十四歩は知花先生ではなく、ほかの先生から伝わったものである。その中でもっとも有名なのは、名嘉真朝増から伝わった五十四歩である。名嘉真先生は五十四歩を花城長茂から教わった。
名嘉真先生の影響力は小林流だけにとどまらない。実は、少林流松村正統の祖堅方範先生も名嘉真先生から戦後型を学ばれている。祖堅先生は戦前アルゼンチンに移住されたが、そこで型をいくつか忘れられたそうで、それで戦後名嘉真先生から学び直された。
たとえば、松村正統のピンアン初段と二段は祖堅先生が名嘉真先生から学ばれたものである。また、ピンアン三段~五段は弟子の喜瀬富盛氏が祖堅先生の許可を得て創作したものだという。筆者はこの話を名嘉真先生の孫弟子にあたる方から伺った。
ピンアンは糸洲安恒が創作した型だから、本来松村系統にはないはずだが、なにゆえ松村正統にピンアンがあるかというと、上記のような事情があったからである。このように、名嘉真先生の影響力は小林流のみならず、他流派にも及んでいるのである。
出典:
「名嘉真朝増の影響力」(アメブロ、2018年10月14日)。note移行に際して加筆。