1951年の屋比久孟徳の演武プログラム
これまで筆者は屋部憲通の初期弟子の一人で、ブラジルに移民して当地で唐手(空手)を指導した屋比久孟徳を数回にわたって紹介してきた。
とりわけ1951年に開催された演武会の動画や同時期に撮影された写真は貴重で、屋部先生が沖縄県師範学校や一部の生徒に「課外」で教授したと思われる技法を考察する上で重要な手がかりを与えてくれる。
上のYouTubeの動画の解説には、以下の解説がポルトガル語で述べられている。
上記によると、この動画は演武者の一人、ガブリエル・コクバ(国場)の孫の方がアップロードしたようである。
さて、現在発売中の『月刊秘伝』(2024年11月号)に、ドイツの空手研究者、ヤニック・シュルツェ先生がこのときの演武会のプログラムを掲載したブラジル邦字新聞『伯剌西爾時報』の記事を発見して紹介している。
それによると、屋比久孟徳指揮の唐手演武は1951年7月8日に開催された「第一回柔剣大会」の中で披露されたようである。
プログラムの中で筆者の興味を引いたのは、組手(活用)の一つとして「掛手」が演武されたという記述である。
筆者は「屋部憲通の掛け手」の記事で、掛け手の写真を紹介したが、果たして本当にこれが掛け手の写真なのか、そう見えるだけで別の技法だったのではないかと疑われた方もいたかもしれない。しかし、当時の記事から「掛(け)手」が披露されていたことが明らかとなった。
また、別の日付の『伯剌西爾時報』の記事には、掛け手の写真を掲載して「戦の実習」との説明がなされている。「戦」とは実戦、すなわち「掛け試し」のことを意味しているのであろう。掛け試しとは「掛け手の形式で行う試合」という意味だからである。
以上のことから、掛け手が本部朝基以外の系統にも伝わっていたことが証明された。屋部先生は『拳法概説』のインタビューで長年本部朝基と組手の稽古を行っていたと述べているから、屋部の系統に掛け手が伝わっていても不思議ではないが、写真と文献から証明されたことには大きな意義がある。
さらに屋比久孟徳の演武プログラム記事には、咽抑え、抱締、肩落、首巻、逆落といった絞め技、投げ技と思われる技法、すなわち取手(トゥイティー)が紹介されている。
かりにこれらの技法が屋部先生が屋比久孟徳に伝授した技法であるならば、屋部先生も取手を習得していたことになる。実は屋部先生がハワイで開催された演武会で取手を披露していたという観客の証言が、戦後アメリカで出版された文献に掲載されているのを読んだことがある。
それゆえ、屋比久孟徳が実際に屋部先生から取手を教わった可能性は高いと思われる。なお、もしそうであるなら上記の名称は日本風であるから、おそらくもとは名称がなく屋比久氏が命名したものであろう。
いずれにしろ、『月刊秘伝』の記事は空手史研究にとって重要な情報が含まれているので、購読することをおすすめする。