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屋比久孟徳 ー 屋部憲通の弟子 ー

屋比久孟徳やびくもうとくについて、知っている人はほとんどいないと思う。『沖縄空手古武道事典』にも、彼の項目はない。彼は沖縄県師範学校で空手を屋部憲通に師事した人物である。山内盛彬やまうちせいひんの「空手随想」(1956)に以下の一節がある(注)。

この師(屋部憲通)について、空手の優秀生になったのに、四年生で屋比久孟徳氏、三年生に修道館、遠山寛賢氏、徳田安文氏、二年生に拳法館長、崎浜秀厚氏、中学の後進に金城裕氏等がいた。屋比久氏はブラジルに渡って移民の父と仰がれ、また、空手を普及して功績を遺された(25、26頁)。

上記で、山内は屋部先生の弟子たちの名前を列挙している。遠山寛賢、徳田安文の両氏は、今日でもよく知られている。屋比久氏は彼らより先輩であるが、ブラジルに移民したため、日本では彼の存在は忘れられてしまった。しかし、屋比久氏はブラジルで空手を指導し、幸いYouTubeにも彼の動画がアップロードされている。

動画冒頭の眼鏡をかけた老人が屋比久孟徳である。動画の1分50秒あたりからナイハンチが演武されている。遠山先生の写真と最初の構え方は異なるが、膝を開いた古いナイハンチ立ちや背手打ちなどは共通している。

屋比久孟徳

ところで、30秒あたりから行われている運動は何であろうか? ひょっとしてこれが、沖縄県師範学校で教えられていた唐手体操の一部であろうか?

あるいは、これは屋比久氏によって創作された運動の可能性もある。ただこれは、現代の移動基本やその場基本とも異なった、ある種の「体操」であることは確かである。つまり、この動画の空手は現代空手の初期の姿に近い可能性がある。

そういう意味では、空手近代化の過程を解明する上で、屋比久孟徳にスポットライトを当てることは、有意義であると思われる。

注 『月刊空手道』10月号、空手時報社、1956年

出典:
「屋比久孟徳 ー 屋部憲通の弟子 ー」(アメブロ、2019年12月4日)


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