先生と師範
先週土曜日(2019年11月2日)から、コロンビア支部の人たちが大阪を訪れ、大道館で一緒に稽古している。一日、わたしは彼らを観光に案内した。そのとき、先生と師範の違いについて、彼らから質問を受けた。
先生も師範も、共に教師を意味する言葉である。違いは、先生が広範囲に使用されているのに対して、師範はやや古めかしく、今日では主として武道や他の伝統技芸の世界でのみ使用されている点である。
さらに、先生になるためには、必ずしも免許や資格は必要ではない。しかし、師範は多くの武道や流派では、免許を授与されてはじめて師範となるのが一般的である。
また、以下のような質問もあった。「7段や8段といった高段位の人たちには、先生という呼称を使いますか」と。これについて、わたしは、「流派や道場ごとに、異なった決まりがあるので、まず確認してから先生と呼んだほうがよい」と答えた。
例えば、本部御殿手では、上原清吉が存命中のときは、先生は上原先生に対してのみ使われた。他の高段位の弟子に対して、儀礼上でも、先生と呼ぶことは許されなかった。
さて、本部御殿手では、師範は免許制度になっている。したがって、師範の免許を授与されなければ、師範になることはない。下の写真は、宗家(本部朝正)が上原先生から授与された師範免許である。
上原先生は、生前、師範免許を沖縄1名、本土4名の弟子にしか出さなかった。沖縄で唯一師範免許を授与されたのは故T氏であった。T氏は裕福な自営業者であったが、その後顧客をカマで斬りつける傷害事件を起こして逮捕され、流派も破門となって師範免許も取り消された。したがって、上原先生の沖縄の弟子で、師範免許を授与された人は一人もいなくなった。
T氏は出所後、「免許皆伝」を自称して海外にまで教えにいっていた。もちろん本部御殿手に免許皆伝の制度はない。T氏は海外セミナーから帰国後急死されたので気の毒ではあったが、いまだに時々海外からT氏の免許皆伝について問い合わせがあるので辟易している。
上原先生の晩年、何人かの弟子が師範免許を出してほしくて、入院中の上原先生に懇願しに行ったそうである。しかし、上原先生は決して許可しなかった。上原先生は、存命中、T氏を含め何度も弟子に裏切られたので、彼ら弟子たちの人柄を慎重に見極めていたのであろう。
ちなみに、宗家は上原先生から「首席師範」の免許も授与されている。上原先生は野心を抱く弟子に対しては容赦なかったが、宗家は上原先生に対して一度も段位も免許も無心しなかったので深く信頼されていたのである。
宗家は上原先生より本部御殿手を本部家に返したいと要請されて師事するようになったため、段位や肩書をほしいと思ったことは一度もなかった。
ところで、コロンビア支部の人から以下の質問も受けた。「コロンビアで、わたしたち以外に、本部御殿手の公認道場を名乗っている道場があるがご存知ですか」と。彼らから写真を見せてもらうと、そこには上原先生の元弟子が写っていた。どうもその道場のコロンビア人はこの元弟子の生徒らしい。
わたしは次のように返事した。「この元弟子は、上原先生から師範免許をもらっていないので、公式に教えることも弟子をもつこともできません。また、彼は現在はわたしたちの組織には所属していません」と。
おそらく上原先生はこういう事態が起こることを予見していたのであろう。それゆえ、上原先生は、師範免許を彼に与えなかったのであろう。
出典:
「先生と師範」(アメブロ、2019年11月9日)。