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夫婦手の起源

夫婦手めおとで(沖縄方言でミートゥディー)は、空手の構えである。しかし、厳密にいうと、それは夫婦のように両手を協調させながら活用する原理のことである。したがって、構え方にはいくつかのバリエーションがある。

ただこの夫婦手、少なくとも現在では、本部朝基の本部拳法もとぶけんぽう、兄・朝勇の本部御殿手もとぶうどぅんでぃー、そしてそれぞれに師事したり交流のあった諸流派にしか受け継がれていないようである。空手界全体で見れば、夫婦手を使う流派は少数である。

また、夫婦手という言葉も、本部朝基の著書が復刻された1994年以降、急速に知られるようになった。それ以前も山田辰雄や小西康裕といった本部朝基の弟子の本や記事で散発的に見られたが、一般には知られていなかった。では、夫婦手は本部家(本部御殿)が創作したものなのであろうか。

たとえば、夫婦手に似た構えに「諸手受け」と呼ばれる技法がある。ピンアン(平安)四段などに含まれている。

諸手受けという用語も、おそらく近代になって本土で命名されたものであろう。糸洲先生がこの技法をどう呼んでいたのかはわからない。あるいは夫婦手の構えを型の中に保存しようとしたのかもしれない。夫婦手は攻防の原理であり、これを単に「受け」と解釈してしまうとその本質や意味が脱落してしまうので、あまりいい用語とは思えない。

いずれにしろ、組手の基本構えとして諸手受けなり夫婦手の構えを用いる流会派はやはり少数である。

本部拳法と本部御殿手の夫婦手は概ね似ているが、その活用には相違もある。それは本部御殿手には「受け技」がないので、防御の構えとしては用いないという点である。下の動画にあるように、夫婦手はもっぱら受(攻撃側)の構えとして用いられる。

しかし、夫婦手は本当に本部家の創作であろうか。古い文献にその記録はないのであろうか。実はその存在をうかがわせる記述が、イギリスのバジル(ベイジル)・ホールが著した『朝鮮・琉球航海記―1816年アマースト使節団とともに』(1818)の中にある。

お茶を飲みに船室へもどったときには、彼らの全員がはしゃいでいた。彼らは一種のレスリングのような遊びに興じていた。かつてわれわれが拳闘のスパーリングをしているところを見たことのある奥間は、突然、拳闘家の防御の姿勢(the boxer's position of defence)をとるとともに、これまで彼らの誰もが見せたことのない殺気立った顔付をした。このとき奥間とむかい合っていた仕官は、彼が殴りかかって来るものと思い、反射的に身構えた。しかし真栄平のすばやい目が、この様子を見てとった。彼は二言、三言奥間に言葉をかけ、たちまち平常の落ち着きをとりもどさせてしまったのである。

訳文のニュアンスは原文と少し異なっているが、直訳すると、奥間が突然「ボクサーの防御の構え」を取った、というものである。

上記訳文の原文箇所

この箇所の拳闘(ボクシング)は、19世紀のグローブを付けない、ベアナックル・ボクシングのことであるが、当時の構えは下のようなものであった。

Tom Molineaux vs Tom Cribb, 1811。出典:Wikipedia

絵では少し分かりにくいが、19世紀後半の写真ではこのような構えになっている。

ジョン・L・サリバン (Wikipediaより)

これを本部朝基の夫婦手の写真と比較してみる。

『キング』(大正14年9月号)

左が本部朝基、右が船越義珍である。このように比較すると、本部朝基の夫婦手の構えは、19世紀のベアナックル・ボクシングの構えとよく似ている。

つまり、バジル・ホールの著書にある「ボクサーの防御の構え」とは、夫婦手のことだった可能性がある。もしそうだとすると、夫婦手の起源は少なくとも1810年代までさかのぼることができるわけである。

出典:
「夫婦手の起源」(アメブロ、2016年11月23日)。note移行に際して改稿。


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