型の大と小
空手の型には、名称に大(ダイ)や小(ショウ)が付くものがある。たとえば、クーサンクー大やクーサンクー小、パッサイ大やパッサイ小などである。
さて、この大と小の意味であるが、一般的には糸洲安恒が古流(=糸洲以前)の型を改変して、改変以前の型を「大」と称し、改変した型を「小」と称したとされている。それゆえ、クーサンクー大やパッサイ大は古流首里手にあった型、それらに対してクーサンクー小やパッサイ小は糸洲先生が改変した型ということになる。(しかし、実際は糸洲の「大」の型も古流そのままではない。「糸洲安恒の改変」の記事を参照)。
歴史的には、クーサンクーとパッサイだけに大と小の区別があった。たとえば、富名腰義珍『琉球拳法唐手』(1922)に、以下の文章がある。
船越先生によると、大と小が付くのはクーサンクーとパッサイだけで、他の型にはそうした区別はなかった(注2)。それゆえ、その他の大や小の付く型は、主に戦後の創作か新たに改名された型ということになる。たとえば、松濤館の系統には五十四歩大や五十四歩小という型があるが、これらは戦後に名付けられたものであろう。船越先生が当初教えた15の型に五十四歩は含まれていないからである。さらに近年、「大」の名称の付く型がほかにも出現してきているが、その多くは基本的には戦後に創作されたものだと思われる。
ただし小林流では、知花朝信が多和田のパッサイをパッサイ大と呼び、糸洲のパッサイ大をパッサイ小と呼んだ。また、知花先生は本来のパッサイ小は教授しなかったが、城間真繁からパッサイ小を教わって、それを「古流パッサイ」と命名して伝えている系統もある。
少なくとも1920年代以降で確認できるかぎり、大や小と名称の付く型は「糸洲系統」に限定される。つまり、泊手や那覇手(と久米村手)には、大や小と名の付く型は本来は存在しなかったのである。
注1 富名腰義珍『琉球拳法唐手』武侠社、1922年、6頁。
注2 ただしローハイ(一、二、三)という型が摩文仁賢和・仲宗根源和『攻防拳法空手道入門』(1938)に記載がある。
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