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屋比久孟徳の墓

前回、屋部憲通の弟子の屋比久孟徳やびくもうとくについての記事を書いた。その記事の中で、私は山内盛彬やまうちせいひんの文章を引用したのであるが、あの引用箇所の後に、まだ屋比久氏について述べた文章がある。以下にそれを引用する(注)。

(屋比久孟徳は)空手の発表会に無理な仕事をして、その疲れで殉職された。その弟子達がすばらしい墓を建て、私はその墓標に歌を刻んだ。
私が世界一周の旅行中、ブラジルで最も私を待たれたのは、屋比久氏であったが、会えないで墓碑を書くのも奇妙な因縁である。同氏の婦人、かめ氏が「主人の遺言だ。」と奔走して、サンパウロ市の日本荘に、私の来泊の記念に自作自書の歌碑を建てた。

平和しにゆくゆる武器よさめ来や原子爆弾も吹きよちらせ

註、(音楽は平和を招来する武器だ。原子爆弾もこれで吹きちらしてしまえ。)(26頁)

引用箇所にある「空手の発表会」というのは、先日の記事で紹介した動画の発表会のようである。

動画の中で、

屋比久孟徳氏は⋯⋯観衆に挨拶。これが今生の別れの挨拶になろうとは⋯⋯

とナレーターが述べているからである(0:10-)。つまり、屋比久氏は、自分の命を削ってあの空手の発表会の準備をし、その様子を撮影した動画がいま全世界に公開されているわけである。その後、山内盛彬はブラジルを訪れ、屋比久氏のために、上記の歌を詠んだ。そして、それが墓碑に刻まれたわけである。

さて、前回の記事は、ブラジルのブルーノ・シャガス先生がアンドレアス・クヴァスト先生の英訳をもとにして、 ポルトガル語に翻訳してくださった。

ABOUT A KARATE PIONEER IN BRAZIL: MŌTOKU YABIKU, KENTSŪ YABU DISCIPLE

この翻訳記事は大きな反響があり、幸い私は屋比久孟徳氏のひ孫の方と連絡を取ることができた。上記の屋比久氏の墓も現存しているようである。そのひ孫の方は、屋比久孟徳氏の調査をして来年発表するそうなので、その成果が楽しみである。

注 山内盛彬「空手随想」、『月刊空手道』10月号、空手時報社、1956年。

出典:
「屋比久孟徳の墓」(アメブロ、2019年12月22日)。

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