御冠船唐手考
空手(唐手)の本は、船越義珍や本部朝基によって大正時代に初めて出版された。それ以前は、せいぜい明治30年(1897)頃から沖縄の地方紙に散発的に空手の記事がある程度である。それゆえ、空手に関してまとまった内容をもつ書物は明治以前には存在していない。
しかし、実は、そういったものがあったという説がある。それは、宜野湾朝保、のちの宜湾朝保(1823-1876)が著したとされる『御冠船唐手考』である。
宜湾朝保は、琉球王国の宰相職である三人制の三司官を務めた人物であり、また歌人としても有名である。明治5年(1872)には、明治維新の慶賀使節の一員として東京へ行っている。その彼が唐手に関する書物を書いていたというのである。空手史研究者の金城裕氏によると、この書物を遠山寛賢が所持していたという。
なぜこのような希書を遠山先生は所持していたのであろうか。もっとも、金城氏はこの書物を実際には見ていないので、本当に存在しているのかはわからないけれども。
御冠船というのは、琉球国王の冊封の際に、中国の使者(冊封使)が乗ってきた船のことである。それゆえ、書名から考えると、国王――おそらく最後の国王、尚泰――の冊封の際に、中国の使者の前で披露された唐手の演武に関する記録だったのではないであろうか。もしそうだとすると、演武者の名前や何の型が演じられたのか、また、選考の経緯などが、そこに記されていたのかもしれない。
なお、尚泰の冊封が無事済んだことを祝賀して、1867年、首里崎山にあった王家別邸、御茶屋御殿で、久米村の士族が唐手演武をしたことは、従来から知られている。『御冠船唐手考』はこれに関するものだった可能性もある。
いずれにしろ、もしこの書物が本当に実在し、そして発見されたならば、空手の歴史の解明に大いに役立つであろう。
出典:
「御冠船唐手考」(アメブロ、2019年8月12日)。
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