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屋部のピンアン初段

先日、屋比久孟徳やびくもうとくのひ孫の方からいただいた空手の写真を紹介したが、他にも空手の写真を何枚か頂いた。それらの中に、ピンアン初段の最初の構えと思われる写真が含まれていた。

ブラジル、ミラカトゥ、1948-1951年。屋比久家所蔵。

周知のように、ピンアン初段では最初に左方向に上段諸手受けの構えをする。その際、右手は手のひらを外側に向けるのが一般的である。

しかし、上の写真では、手のひらは下側に向けられている。これは「受け」というよりは、突き、もしくは突きの準備のようにも見える。

屋比久孟徳は沖縄県師範学校で屋部憲通に師事した最初の学年の人である。すると、屋部先生は、当時このピンアン初段を教えていたのであろうか。もちろん、そのとき、屋部先生の傍らには、糸洲先生もいたはずである。

また立ち方も、現在のピンアン初段では猫足立ちが一般的であるが、上の写真ではナイハンチ立ちを左側に少し捻ったような立ち方である。

以前、「本部朝茂のピンアン」を紹介したことがあったが、このピンアンも猫足立ちではなくナイハンチ立ちであった。いずれにしろ、上記の写真は、ピンアン初段の変遷を考察する上で、貴重な写真であると言えよう。

出典:
「屋部のピンアン初段」(アメブロ、2020年2月23日)。


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