御殿言葉 ー沖縄の宮廷言葉ー
以前、ある本を読んだとき、本部朝基が話すシーンが小説風に描かれている箇所があって、そこで本部朝基が唾を飛ばしながら荒々しい口調でしゃべっていた。
本部朝基が特に唾を飛ばしていたという話は聞いたことがないし、たまに唾を飛ばすくらいなら誰にだってあるであろう。
この著者は、掛け試しのイメージから本部朝基は野卑なしゃべり方をしていたに違いない、と想像したのかもしれない。
しかし、本部朝基とじかに会ったことのある門中の本部澄子(朝勇孫)さんや他の古老の人たちによると、「サーラー按司(本部朝基)は御殿言葉をしゃべっていましたよ。御殿の出身らしく上品な話し方でした」という。
御殿言葉とは、首里の御殿(王族)の人々の間で話されていた言葉で、本土でいう御所言葉とか女房言葉のことである。
一般に首里の人たちは上品にゆっくりした話し方をしたので、せっかちな那覇の人たちからは「首里だやー」と悪口を言われたりしたが、御殿言葉は首里言葉(方言)の中でも最上位に位置する言葉であった。
一口に首里言葉といっても、階層によって複雑に分かれていた。たとえば、戦前の首里の風俗に詳しい、郷土史家の宮里朝光氏によると、「仏壇」の言い方は以下のように分かれていたそうである。
・御殿階級:御神壇(グシンダン)
・里之子家:御霊前(グリージン)
・筑登之家:御仏壇(ウブチダン)
・新参以下:仏壇(ブチダン)
御殿言葉の話者は60年ほど前に、沖縄ではほぼいなくなったようであるが、宗家(本部朝正)は、子供の頃、両親の話す御殿言葉を聞いて育っているので、いまでもいくつか覚えている。以下にそれらを列挙してみる。
・父親:アジメー、アジメータイ
・母親:アヤー
・親:ウチガナシー
・兄:ヤチメー、ヤッチー
・兄弟:ウチョーデー(ご兄弟)
例えば、本部朝勇はアジメー(按司前)と呼ばれて、その長男の朝明はヤチメーと呼ばれていた。次男以下はヤッチーと呼ばれていた。ヤッチーは士族言葉で「兄」の意味なので、ヤチメーは「兄前」の意味であろう。「前」は敬称の接尾辞である。ヤッチーは空手史でもときどき出てくる言葉だが、ヤチメーは見たことがない。
ちなみに、本部朝基への呼び方は、門中の人からはサーラーアジ(按司)かサールータンメー(叔父様)、一般の人からはウメー(御前)と呼ばれていた。按司やウメーは狭義には、按司の位にある人への呼称であるが、口語では本部朝基のようなその兄弟にも使われていた。
戦前の沖縄では、まだ実名敬避の風習が残っていたので、「朝基さん」とか「朝基おじさん」のように下の名前で呼ぶことはなかった。
出典:
「御殿言葉」(アメブロ、2017年4月2日)。note移行に際して加筆。