本部御殿手の打撃技法
総合武術
1990年代になって、本部御殿手はさまざまなメディアで紹介されるようになった。それまでは秘伝武術ということで、上原清吉は公開を渋っていたのだが、弟子が無断で書籍を出すなどの出来事もあり情報発信に力を入れるようになった。
ただ当時、取手(沖縄方言でトゥイティー)を中心に紹介されたため、本部御殿手は「沖縄の合気道のような武術」と誤解されてしまったふしがある。実際は、打撃技法(当身)も用いるし、多数の武器術も包含する「総合武術」である。
本当てと仮当て
本部御殿手には、日本柔術に広く見られる「神武不殺」、すなわち敵の打倒(殺傷)を否定するような思想はない。本部朝勇は本部御殿手のことを戦手と呼んでいた。すなわち、あくまで戦場で用いる武術なのである。
また柔術では、敵を打倒する当身を「本当て」、打倒しない当身を「仮当て」と区別して、もっぱら仮当てのみを柔術技法の補助として用いる流派が主流だが、本部御殿手には本当ても仮当ても両方ある。
そもそも沖縄の空手には仮当て――現代でいうライトコンタクト――という発想が希薄なので、当身を2種類に区別するということ自体、理解しがたいかもしれない。
ただ本部朝基の本部拳法には「霞打ち」と呼ばれる仮当ての技法がある。同様の技法は本部御殿手にもある。したがって、古流空手には仮当てはあったのであろう。
打撃技法の特徴
さて、本部御殿手の打撃技法の特徴を列挙すると以下の通りになる。
・攻撃に際しては、夫婦手の構えを用いる。
・突きは前手突き(刻み突き)が基本である。
・引き手からの逆突きは少ない。
・「諸手突き」が多い。
・諸手突きに加えて、前蹴りも同時に用いる「三本突き」の技法がある。
・左右の突きを連続で用いる「連続突き」がある。
・廃藩以前は拳は用いず貫手だけを用いた。
・蹴り技には、古流空手には珍しい上段蹴りがある。
・蹴り技に、膝を曲げないで蹴る「棒蹴り」(現代の踵落としに似た技法)がある。
・遠間からの跳び込みの突き蹴りが基本である。
本部御殿手には、空手の上げ受け、横受け、下段払いのような受け技はない。敵の攻撃は間合いをとって体捌きでかわしつつ、交差技法(カウンター)で倒す。攻撃こそ最大の防御なりという「攻めの武術」である。
前手突きが基本
前手突きは、以前述べたように、本部拳法にも見られる古流空手の技法だが、明治30年代以降の沖縄空手では一般的ではなくなった。
逆突きは、本部拳法ではそれなりに用いるが本部御殿手ではほとんど用いない。用いるとすれば、連続突きの中に組み込まれた形で用いる。逆に本部拳法では連続突きはあまり使わない。
諸手突きと三本突き
本部御殿手の突きで顕著なのが、諸手突きと三本突きの多用である。諸手突きは、もちろんナイハンチやパッサイのような型の中にはあるが、本部拳法ではあまり使わない。
上の動画で、仕手(攻撃側)は諸手突きと前蹴りを同時におこなう三本突きで攻撃している。
型の中での三本突きは珍しいが、「島袋パッサイ」のような古流パッサイにはその使用例がある。
本部御殿手の打撃技法の特徴は、総じて敵を一撃で倒すことを目的とし、そのために諸手突きや三本突きを多用する。「どれか一本でも当たればいい」という発想で「二の手」の発想が乏しい。
本部拳法には「一の手」、つまり一撃目が外された場合の対処として、「二の手」の技法が具体的に「朝基十二本組手」にも組み込まれているが、本部御殿手にはこうした発想は乏しいのである。
示現流の影響
個人的には、本部御殿手の打撃技法は薩摩の示現流の剣の技法をそのまま素手に置き換えたような印象を受ける。
示現流では、周知のように「一の太刀を疑わず」とか「二の太刀要らず」といって、一撃(一刀)で決着をつけることを目的とし二撃目の発想が乏しい。よく空手には示現流の影響があると言われるが、本部御殿手の打撃技法にはその影響が顕著である。
現代空手の組手は、基本的に古流とは関係がない。戦前、沖縄出身の空手家の多くが組手を(ほとんど)教授しなかったので、仕方なく本土の若者たちが型から技を抽出して作ったのが現代組手の起源である。
では、古流組手はどういうものだったのか。本部拳法の組手は古流組手の直系だが、本部御殿手の組手にも本部拳法とは違った古流の特徴があり、その技法を理解することで、本部拳法のそれとあわせて、より包括的に古流組手を解明する手がかりが得られるのである。
出典:
「本部御殿手の突き」(アメブロ、2016年12月4日)。note移行に際して改稿。