本部朝勇が語った稽古の心得
下の動画は上原清吉が平成4(1992)年に行った講演会から、本部朝勇に入門した当初にどういうことを言われたかを語った箇所である。
方言を交えて語られているので分かりにくい箇所もあるが、上原先生は入門当初朝勇先生から、
といったことを言われたそうである。
そして、稽古に際しては、毎回身を清めてくること、稽古着もきれいに洗ってくること、また稽古が終わったあとも、身を清めて着替えなさいと言われた。
本部朝勇がこれらを言ったわけは、稽古の最中、いつなんどき事故によって死に至るかもしれない。その場合、そのときの姿がそのまま、いわば死装束になるのだから、武士として決して恥ずかしい死に方をしないように、という配慮からであった。
つまり本部朝勇は「死を覚悟して稽古に臨みなさい」と12歳の少年に最初に諭したわけである。
当時すでに空手(唐手)は学校で教えられていて、教育として、体育(体操)としてその性格は変貌しつつあった。それこそが空手が生き残る道だと考える人達がいた。しかし、本部朝勇にとって、空手(だけでなく取手や武器術ものちに教授するが)はまだ生死を掛けた真剣なものだったのであろう。つまり、体育ではなく武術としての空手である。
ちなみに、当時の上原先生の稽古着はメリヤス地のランニングシャツ(ノースリーブシャツ)に猿股といった格好であった。「空手衣」というものは、当時(大正5年)はまだ存在していなかった。
面白いのは上半身裸で稽古したことはなかった、と上原先生が語っている点である。当時、唐手の稽古では上半身裸になるのは珍しくなかった。また、上原先生は朝勇先生の裸も見たことがなかったそうである。
朝勇先生は按司(王族)だったので、「貴人は裸を見せない」ということだったのであろうか。
いずれにしろ、この動画での上原先生の証言は、昔の御殿階級の人々の武術観がうかがえて、興味深いものである。
出典:
「稽古着と死装束」(アメブロ、2016年10月8日)。