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夫婦手の変遷

以前、筆者は「夫婦手の起源」という記事を書いたことがある。そこでイギリスのバジル・ホールの本の記述から夫婦手めおとでの起源は1810年代まで遡れるのではないかと述べた。

もちろん、その本で「夫婦手」という言葉が使われていたわけではない。ある琉球人が突然ボクサーの防御のような構えをしたという記述から、19世紀のボクシングの構えを考察して、夫婦手の可能性があると論じた。

空手史で夫婦手という言葉がはじめて登場するのは本部朝基の『私の唐手術』(1932)においてである。そこで、彼は諸手連動の大切さを説き、この構えを夫婦手というが、「普通知らないようだ」と述べている(8頁)。

つまり、1930年代には夫婦手はすでに忘れ去られようとしていたわけである。

「諸手連動など当たり前ではないか。珍しくもない」という人もいかもしれないが、そうではない。武術にはいろいろな考え方がある。前手は防御に使う「死手して」、後手は攻撃に使う「生手いきて」と称して、両手で役割分担を唱える考え方もあった。

戦前の空手文献で見る限り、夫婦手という言葉が使われているのは本部朝基の著書と、摩文仁賢和・仲宗根源和『攻防拳法 空手道入門』(1939)だけである。その中で夫婦手は「陰陽の構え」ともいうと書かれている。筆者はこの言葉は知らないが、あるいは糸東流では使われているのかもしれない。

戦後になると、昭和期では小西康裕先生の著書か山田辰雄先生の非売品の空手教本に夫婦手が使われている例くらいしか、筆者は読んだことがない。

昭和期には夫婦手という言葉は決して一般的ではなかった。

夫婦手という言葉が空手文献で頻出するようになるのは、本部朝基の著書が『日本伝流兵法本部拳法』(1994)のタイトルで復刻して以降である。

この復刻本は当時非常に評価が高かったもので、それまでの本部朝基の、ただ腕力に頼るだけの大した技術もない「荒くれ者」というイメージが一新された。そして、この本を高く評価してくださった方々によって、夫婦手の言葉も急速に広まったのである。

考えてみれば、この復刻からそろそろ30年が経過しようとしているから、最近の若い人はもちろん40歳以下の人たちもこういう経緯は知らないかもしれない。とくに本部流のブログを読みに来てくださるような方にとっては夫婦手は聞き慣れた「当たり前の概念」かもしれない。しかし、30年前はそうではなかった。

「本部朝基語録」の著者の中田瑞彦氏は宗家(本部朝正)宛の手紙で次のように書いている。

現代の若者は何でも物を簡単に考え、深く考えない傾向があり、私共の朝基先生の資料なども、何の感激も、心的洞察もなく鼻でアシラウ傾向にあります。

1992年10月14日。

当時、中田氏の本部朝基語録もあまり注目を浴びず、黙殺される状況にあった。中田氏は戦後本部朝基がずっと誤解されたままでいる状況を何とか変えたいと願っていた。

この語録も本部朝基の復刻本とともにその後急速に評価されるようになったが、その頃は残念ながら中田氏はもう鬼籍に入られていた。

このように夫婦手という言葉が普及するまでにも様々な紆余曲折があった。「当たり前」と思われる言葉や概念が理解されるようになるまで何十年もかかることもある。

したがって、ある言葉や概念がいつ誰によって使われ、広まっていったのか正しく理解するためには、実証主義的な研究も必要である。

筆者は海外の研究者とも頻繁にやり取りするが、彼らのほうがこうした態度はしっかりしているように思う。こうした考察から、昔から広まっていたように思われている言葉や概念も実は最近普及したことがわかったりするのである。



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