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人生無理バーで無理だったものと非モテオフ会(3)

元イさんなのだ。


前回ので人生無理バーについてのnoteは終わらそうと思ったのだが…(↓こちら前回)

今回の騒動はとても残念な結果になってしまったのだ。


イベント無期限休止

無期限休止なのだな。場が消えることとなったのだ。人生無理バーが無理になってしまったのだな。


楽しみにしていた人がいたならとても残念だ、と思うし、あの発達障害男性お断りに対して深く傷ついた人ならスカッとした事だと思うのだ。


元イさんとしては、自分の開いている非モテオフ会や、来年やっていきたいイベントについて、先行事例として大変参考になるというのと

やっぱり何か人のためになりたい思って積極的に動いていた人が結果的に人を傷つけたり、傷つけられたりして、最終的に人のために動くのをやめたというのは少し寂しい気持ちなのだな。

楽しみにしていた人がいた、というのはやっぱりつらいものがあるのだな。



あと、元イさんも炎上してやらかす事にはなりたくないな〜〜どうしたもんなのだ!?!?という気持ちにもなったのだ。



人生無理バーで無理扱いされた人が求めたもの

それは一体何だったんだろうか、と思うのだ。

告白とかしてるケースを見ると、やはり恋人だったんだろうと思うのだな。

ただ、最初から恋人が欲しくて人生無理バーに行ったんではないと思うのだ。人生が無理と思ったから人生無理バーに行って、そしたら恋人になってほしいと思うようになったとか、セックスの相手になってくれるかも、というパターンもあったと思うのだな。

注:はじめからセックス目的の人の話は除くのだ。そういう話はしないのだ。


ただ、元イさんはそれは恋人がほしいというよりも、恋人をつくる事で「得られる何か」が欲しかったんじゃないかと思うのだ。

欲望の正体とは何か?


という話だとは思うのだな。

相互フォローの人のツイートを引用するのだ。


男なら恋人欲しいのは当たり前だろう、とか、女がいる場所に男がいて話し掛けるのを許可してるならナンパもオーケーしてるのと同じだろうとか、男の参加を拒否しないなら女も彼氏探ししてるんだろとか、そういうテキストも見たのだ。

そうではないのだな。自分の欲望をわかっておらずに、自他の境界もついてないので、自分の欲望を万人にとっての当然の事実として認識してるのだ。


そして、そういう欲望を持っている自分の、欲望の根源にある欲求は何か?という事を少し掘り下げて、さかのぼってみるのも大事なことではないかと思うのだ。


元イさんも人生無理だったのだが、そして当然非モテの欲しいものは恋人、という感じで生きてきたのだ。が、

一度、彼女ができて、ふられて理解したのは、自分の本当に欲しかったもの、渇望してたものは↑のツイートのような事なのだな。


すごくイヤな話になるのだが、正しくマザコンだったのだ。元イさんの中には母親からもらった愛情ってすごく少なかったのだな。甘えるなと言われるものかもしれないのだが、母親にもらえず、それ以降も女性と心から優しく受け入れられたことが無かった、という自覚ができたのだ。


まあそこから更に踏み込んでみたら、人と心と心でふれあったことがあるのか?となると、そもそも男相手でも、誰とでも、そんなにないな、俺は寂しい人間なんだ、と自覚したのだな。


元イさんは寂しさを埋めたかったのだ。そして、それは無理に彼女じゃなくてもいいと理解したのだな。


コミュニケーションはコミュニケーション欲を満たす

後編を書き上げられずもう二ヶ月以上も放置してしまっているのだが…

こちらの本に

「コミュニケーションの目的はコミュニケーションをすること」

「コミュニケーション欲はコミュニケーションを取るとこで満たされる」

というようなことが書かれているのだ。


そして雑感なのだが、相手も楽しくこちらも楽しい、そういう良質なコミュニケーションが、「持続可能なコミュニケーション」と、それをできる相手を作るんだと思うのだな。


人生無理バーでの無理だったもの扱いされた人が求めたものは、コミュニケーションであったし、そのコミュニケーション欲は通うことによって満たされたと思うのだが、満足できたというわけではなく、

そしてそのコミュニケーション相手となった側にとっては持続可能なものではなかったのだな。


結果的にコミュニケーションする場すら維持継続出来なくなってしまったのだ。何が問題だったのか。


自分も相手も楽しいって何?

元イさんは非モテオフ会の時にはとにかく参加者に「楽しいオフ会に!」「みんなで楽しむのだ!」などと事前に呼びかけているのだ。

でも人生無理バーでの無理だったものは、互いに楽しくなくないものになってしまったのだな。


非モテの克服という観点で言うなら、「自分が楽しむこと」よりも「相手を楽しませること」さえ出来れば、「コミュニケーションが加害」と言われることはなくなると思うのだ。


くれぐれも言うのだが、同じ空気を吸うことすら加害と主張するような女性を、楽しませる対象としてカウントはしなくていいのだ。絶対に。そういう人を楽しませても全然楽しくないのだ!そういう人を念頭に置いて攻撃すると本当にみんな楽しくなくなってしまうのだな。


この本には相手も自分も楽しくなるコミュニケーションのとり方が書いてあるので、買って読んでみるのもいいと思うのだ。元イさんもなるはやで後編を書き上げるのだ。




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元井さん
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