猫のこと
元々は犬派だった自分が猫を飼い始めたのはもう10年以上前のことだ。
とにかく飼って良かった。
猫がこんなに可愛い動物だとは思わなかった。
お世話しているのかお世話されているのか不明な日々。
いつか終わりがくることはわかってはいるのだが、最後の一瞬まで大事に大事に接していきたいと思う。
飼うことになった経緯
きっかけは自分たち夫婦ではなく、妻の母親のためだった。
長年妻の実家で飼っていた猫が旅立った後、彼女はすっかり気落ちしてしまったためそんな彼女を元気付けたいと、妻がスーパーの張り紙で見つけた保護猫、それも三匹の兄妹猫。
拾い主さんがうちにきて三匹を見せ「飼われるのは一匹だけですよね?この中から選んでください」と言われ、親と離れ離れで可哀想なところに加えて兄妹離れ離れになるのはさらに可哀想ということで結局三匹とも引き取った。
挙げ句の果てには、妻の母親からは「亡くなる時辛すぎてもう飼うのは嫌」ってことで、結果、三匹ともうちで飼うことになってしまった(笑)。
毎日が楽しい
とにかく元気いっぱい。
家中を走り回り、あちこちで爪を研ぎ、高いところに登っては降りて来れなくなり、窓際でセミが鳴くと三匹とも集まってくるって感じで、楽しくてしょうがない。
家の中には、彼らのおもちゃ、猫タワー、爪研ぎ、トイレ、砂、大量の猫缶やカリカリ、専用のあんか、高いところに登るための椅子、クッション、などなどどんどん増えていき、冷暖房も人間しかいなかった時は我慢していたのが躊躇なくスイッチオン。
写真もとにかく猫だらけ。
とにかく猫が最優先の生活となった。
飼うことの責任、犠牲にしたこと
避妊手術やワクチン接種。
とにかく三匹とも病院が大嫌いなので無理やりケージに入れて連れてく時は可哀想だった。普段聞いたことない声で鳴くし。この野郎、やめろーやめろーと言っていたのかもしれない。
そして我々夫婦は猫を飼いだしてから長期で旅行(特に海外)には行かなくなってしまった。理由は猫だけで留守番させるのが可哀想だし心配だから。
ちょっと外出する時も、三台の室内カメラを稼働させて大丈夫かしょっちゅう確認。特に暑い夏や寒い冬は心配だ。
年末年始、私の実家に帰省する時も、猫が困らないようにペットシッターさんに1日2回きてもらって食事の手配、トイレの始末、戸締り、換気、エアコンOff Onなどをやってもらい、写真つきの報告をもらったりした。
実家の両親も年々年老いていくし、私にとってはあと何回会えるかよくわからないところもあったので、まだ若い猫には我慢してもらい、年一回だし実家を優先したりしてた。
なお、猫は家に住まうので、ペットホテルなどどこかに預けるのはやらなかった(厳密にいうと一度だけ妻の実家に年末年始預けたことがあったが迎えにいった時、怒っていた😁。)
辛く悲しく大変な日々
2015年の暮れ頃から雄猫の様子がおかしくなりやたら窓のサッシを舐めるようになった。そうこうしているうちに痩せていく。ご飯を食べない。
嫌がるものを無理やり病院に連れていったら腎臓が悪いらしい。
それから色んな体に良さそうなものを試した。当然自分からは食べないのでシリンジで口から流し込む感じ。怒ってシャーシャー言っていたが、食べないと死ぬので頑張って口から流し込んだ。
私はご飯のあげ方が下手くそなのでもっぱらその役割は妻だったが、後日、無理やりご飯を毎日食べさせる行為そのものがなんか虐めているようで辛かったらしい。。
呼吸が弱いので酸素吸入器も借りてきたりしたが、音がうるさすぎてどっか違うところに行ってしまう。
それにしても喉が渇くようで水だけは沢山飲む。
動物病院の先生もなす術なし。
一か八かで日本動物高度医療センターへも連れていったが結構なお金払ったのにお腹の毛を剃られただけで何の処方も無かった。
今となってはこの高度医療センターへ連れていったことを後悔している。
なぜならば、診察のため1日前から水を飲ませてはいけないと言われたのだが、病気の影響でとにかく喉が渇くので妻や私の後をつけまわし、水を飲ませてくれと鳴いて鳴いてどうしようもなかった。
今でもあの辛そうな声と顔を忘れられない。
ほんと人間の勝手な思いで、なんとか治るに違いないとあちこち連れまわし最後は喉が渇いて苦しい状態においやり、お腹の毛まで剃られて、最後の数ヶ月ほんと辛い思いをさせた。申し訳ない。許してくれ。
高度医療センターへ行った後なんとなく妻も私も覚悟を決めた。
もう余計なことは止めよう。寿命だ。延命は人間のエゴだと。
それでも2週間くらいは生きてくれただろうか。
最後は私がたまたま会社を休んだ日、私の書斎で息を引き取った。
ありがとう。よう頑張った。たった6年の寿命だったがうちに引き取られて良かっただろうか。
2022年の夏前、二匹目の雌猫もおかしくなってきた。
やはり内臓系だ。一匹目の猫が旅立った時に、もう病院だの延命だのやるのは止めようと決めていたので、病院は行かなかった。だから正式な病名もわからない。
調子が悪くても毛繕いに余念がない、ほんと毛並みの綺麗な美人猫だった。
12年も生きてくれてありがとう。
二匹とも元気がなくなるとどんどん暗くて冷たくて外界と接点がないところへと隠れていく。
そして、どういうわけか亡くなる5日ほど前に急に元気になり、思いっきり甘えてきたのを覚えている。
まだそんな力残ってたのかと思うが、家のあちこちを見て回ったりしてた。
疲れるので一箇所行ったらそこでしばらく寝てって感じだったが。
もしかしたら、狭いながらも自分が過ごした家、まだ元気な頃飛び回っていた一つ一つの部屋を目に焼き付けたかったのかもしれない。
猫がもたらしたもの
おそらく招き猫だったのだろう。
サラリーマンとしてはだいぶ大成させてもらった(まだ終わってないが)。
決して楽な仕事ではなかったので帰宅後はヨレヨレしていたが、猫たちに癒されたし、おそらく私の負のエネルギーを吸ってくれていたのかもしれない。
男同士特に雄猫には色々愚痴も聞かせていた結果、たった6年で逝ってしまったのかもしれない。
幼い頃実家で飼っていた犬もそうだが、改めて猫という動物と暮らしてみて、なんて彼らは生物として完成しているのかと思う。
いつも、どんな状況でも、全幅の信頼と愛情を飼い主に向けてくる。
一方人間はそりゃまともな時も楽しい時もあるが、妬み、嫉み、恨み、文句、批判なども毎日見聞きする。SNSなんか掃いて捨てるほどそんな言葉で溢れている。
しかし犬や猫の言葉にはそんなものはない。
彼らは人間のように喋りはしないが声、表情、仕草でわかる。
そんな臭った言葉は感じないのだ。
せいぜい感じたのは、お腹が空いた、相手しろ、遊ぼうぜ、うんち出た、眠い、信頼してるぞー、犬の場合は散歩はおい、みたいな思いばかり。
なぜ彼らはそんなに立派でけなげで完成されているのだろうか。
私も彼らを見習わなければと何度も思った。
これから先
まだ一匹いる。相変わらず可愛い。一匹だけになって性格も変わったようでめちゃくちゃ(三匹分くらい)甘えてくる。
でもだいぶ年老いてきた。もうジャンプができない。猫じゃらしへの反応も少しだけだ。年も年だからな。
1日でも1分1秒でも長生きしてほしい。
そしてできるだけ苦しまず眠るように逝ってほしい。ほんとに。
まだ考えたくもないが、最後の一匹が旅立ったら、もう暫く動物を飼うことはないだろうと思う。
お別れが辛すぎるので。
その代わり、猫や犬の保護活動など頑張っている団体や施設にこれまで以上に寄付しようと思う。
子供のいない我々夫婦にとってはほんと子供みたいなもの。
再度彼らと虹の橋で会いたいと心底思う。
そして我々も年を取ってきてるので猫の分まで奥さん孝行をしようと思う。