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下書き再生工場で取り戻した私は、工場長に夢を見る。

「遠い日の不良に言えないはなしの前段」
「音楽が奏でる耳先生への階段」
「カリブを渡るリズムを刻む手段」
「初めてのギターが響かせたのは、淡い友情の算段」

私は、四つのタイトルのメモを握り締めていた。工場長に面談出来るのは、取り戻せた人だけだった。面談した多くの人達は、部屋を出てきて幸せそうな顔をしていた。私がここに呼ばれたということは取り戻せることを意味している。自分の心でそう言い聞かせていた。そして、本当に取り戻せるのか疑念を抱きながらそれを見せないように振る舞っていた。

「次の方どうぞ」

私は、並んでいる方達にウインクをしてからこう告げた。

「次に会う時、私は取り戻しているよ」

取り戻すには裏口から入らないとならない。正面からは、厳密なルールが存在するらしい。部屋に入った私は、走り書きしたメモをもう一度握り締め、長髪を主張しない黒髪を持つと言われる工場長を前にしていた。黒髪の長髪は白衣の白と髪の黒でコントラストがハッキリしているのに確かに主張していなかった。主張を隠す年月を考えただけで私の目には泪が溢れそうになっていたので、それを隠すように上を向いた。髪の主張と相対して香りだけはそこにいるキレイな女性を主張してくるから厄介だった。このギャップだけで恋するのは私にしたら簡単なことだった。

いっそ取り戻すことより工場長を手に入れてしまえば良いのではと邪念に襲われたが、どうせなら一度付き合ってから別れ、そしてもう一度付き合う時に「取り戻す」を味わえるはずだから、まずはどうやって一度付き合って別れるべきかまで思考が飛んでいた。悪くない始まりだった。

工場長の髪に触りたい衝動に駆られながら理性を抑えるのには、この香りは実に厄介だった。香りのせいにしてくっつくのは私のマナーに反する。どうせくっつくのなら工場長から誘われたい。

私の持つメモを一瞥した工場長は、眼鏡の奥に見える瞳が笑ったように見えた。私は、その眼鏡のレンズが邪魔だと思っていたのだが、レンズ越しのその瞳を見たらレンズ越しの視線も悪くないなと考え方を変えることに成功していた。

「あなたの分は、もう取り戻したのよ」

工場長は、そう伝えるとなぜか眼鏡を外して、主張しない髪を主張させるように振り、良い香りを私に振り撒いた。いっそのこと「同じ香りになりたいです」と言えばすぐにひっつけるのに、私のマナーには反していたので我慢した。こんなにも早く眼鏡を外すタイミングが来てしまうのかと思っていたのだが、黒目がちなその大きな瞳を真っ直ぐ見てしまったら、眼鏡はもう必要ないと思っていた。工場長に必要なのは潤いを足す目薬と、上目遣いだけだとこの時にはもう感じていた。私は始まっていた。

「でも、あれは自分でも取り戻せなかったんです。いったいどうやって」

私は、工場長に詰め寄るタイミングで少しだけ髪に触ろうと計画していたが、工場長には通じなかった。

「あなたがソコから動く必要はないのよ。物語の方からあなたに向かうから。ほら。ゆっくり座って見てごらんなさい。あなたが私を見るように、その報告書を読めれば正解よ」

工場長は、そう言うと後ろを向きながら香りだけをプレゼントしてくれた。私は、工場長をすでに対象として見ている。そういう視線でと言うことなのだろうか。机の上に置かれたのは、確かに私が探していた物語だった。

「遠い日の不良に言えないはなしの前段」

と書かれた報告書を私は手に取り読み耽った。

「この物語は、私が落としたものです」私は工場長に素直に言えた。

工場長は、振り返ると白衣から覗くキレイな脚を見せた。私は、工場長がこんなにキレイな脚を持っているとは知らなかったが、この物語を取り戻したおかげで動揺せずに済んでいた。この物語の作者は工場長がキレイな脚を持っていると知っていると感じていた。

「あなたの心に、ちょっとお茶目だけど好奇心旺盛で正義感を隠せない探偵願望があることは知っていたの。女性に弱いところもね。これはね、私の工場の優秀な職人に書かせたの。あなたの心は取り戻せたみたいね」

私の中にあるハードボイルドの主人公の願望を取り戻してくれていたなんて。私は、取り戻したハードボイルド心から少し大胆に工場長に言葉を告げた。

「なぁ、この物語はここから始まるみたいだ。けど続きはどうなるんだい?」

工場長は、キレイな脚を白衣で隠して机に肘を付いて、それとは別の上目遣いをプレゼントしてくれた。

「この先は、あなたの物語じゃないかしら」

「悪くないね」

私は、工場長にそう答えながらクロスワードの答えを見つけた。

「次の取り戻しにいこうかしら。あなたが無事に帰ってこれるか心配だから隣に座ることにするわ。少し覚悟した方が良いかもね」

そう言われると、少し荒っぽく

「音楽が奏でる耳先生への階段」

と書かれた報告書を渡された。私は右隣に座る工場長をもっと感じたいから一つだけお願いした。

「覚悟を問われるのは分かったから、私のために、ページを捲ってくれないか」

勇気を出した一言は、工場長の弾力を右側で感じることに成功させた。今ならカラダに当たっている髪の毛の数すらなんなく数えられそうだった。工場長は、何も言わずにページを捲ってくれた。

気付いたら工場長に肩を揺さぶられていた。私はどこにいたのか分からなくなっていた。

「あなた、境界線をフラついていたわね。危なかったわよ。あなたの危険なところを覗かせてもらったわ。この作者は、人の心を操るのが上手いの。表現も自由自在。文体は創作出来ることを知っているのよ。たまたまあなたに刺さるように書いてくれただけだわ」

工場長が言うように、この物語はどこかの世界と繋がっているようでいて、その先に進んでは危ない気配を漂わせていた。私はもしかしたら、どこか違う世界に行きたいのだろうか。ショパンの「英雄ポロネーズ」が頭の中に鳴り響くなか、隣にいる工場長のなかに、膝を揃えて、勢いよく前転し、思いっきり両膝を伸ばして、飛び込みたくなっていた。

「それはダメね。私は耳先生ではないから」

何かを察知した工場長は立ち上がり、長い髪から左耳を見せてくれた。私は普段隠れている耳を見れた高鳴りから、自分を取り戻すことに成功した。工場長に触れないでどこかに行くことなど出来ない。どうせなら触りたいが我慢することにした。

「カリブを渡るリズムを刻む手段」

と書かれた報告書が机に置かれた。私は手に取り読み始めた。

「私はこんな変態ではありません」

読み終わった瞬間に叫んでいた。工場長は、少しホッとした様子で語りかけてくれた。

「この作者は変態なの。安心して。正しい反応よ。あなたではないことは、皆知っているわ。これはあなたの正気を取り戻す物語よ」

私は、心底安心した。この作者は「おかしい」。どうやったら、ここまで思考を飛ばせるのだろうか。しかも平然と正しい表現だと言わんばかりに堂々と変態をしている。だいたい、『パイオーツオブデカミカン』や『パイオーツオブトレビアン』などと調べあげるのもどうかしているとしか言えない。

駄菓子菓子、私の頭の中に確かに残るメッセージだ。私は工場長の胸元を見れなくなり視線を落としていた。とんでもない置き土産だ。私は作者に怒りと少しの尊敬を抱いた。

若干胸元を強調するように工場長は、最後の報告書を置いた。

「初めてのギターが響かせたのは、淡い友情の算段」

工場長は、私に優しく微笑みこう言った。

「これは、あなたに読んで欲しいの」

今にも抱き付きたい衝動に駆られたが、精一杯我慢した。私が取り戻せば自ずと道が開けるからだ。

読み終えると、一つの疑問が浮かんだ。

「これは、誰の物語ですか?」

私は、自然と言葉に出して聞いていた。工場長は、力が入った肩の力を抜くように息を吐き、少しだけ覚悟して話してくれた。

「私の物語よ。あなたの一部に入れて置いてくれる?」

それは、工場長の青春が書かれた物語だった。親友とは、友情とはと。会えなかった時間を一気に共通の思い出で取り戻す物語だった。私は、これから工場長の思い出も一緒に背負う覚悟をした。これは、工場長からの「いつか私の全てを取り戻して」のメッセージだ。

四つの報告書を手に取り、私は決意した。

「私は、取り戻しました。今度はあなたを取り戻しにきちんと正面から入ります」

工場長は、この日一番の笑顔でこう言った。

「髪が伸びたらね。ロン毛しか私の正面の扉をノック出来ないのそれがルールなのよ。ロン毛でなければ、私の中には入れない」

裏口から部屋の外に出た私は、並んでいるみんなにウインクをしてこう告げた。

「取り戻したけど、取り戻せなかった」

こうして、私の心は恋心と共に下書き再生工場で再生された。次に工場長に会えるまで、髪が伸びるまでは、全力で頑張れるだろう。

なんのはなしですか

『この物語の本田すのう工場長の美しさの描写以外は全てフィクションです』下書きを再生していただいた皆様と、下書き再生工場に感謝します。最高に嬉しかったです。



自分に何が書けるか、何を求めているか、探している途中ですが、サポートいただいたお気持ちは、忘れずに活かしたいと思っています。