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43歳の日常は、生き方文学になり得るのか。

43歳になりました。毎年自分の誕生日を迎えて一年の始まりとすることにしています。せっかくなので、文体を気にせず、とりとめのないままに綴ろうと考えました。普段あまり書くことのないことを綴ってみようかなと思います。

書くことで自分が求めているものは、自分の表現で自分の言葉を見つけたいことであり、人間はくだらない生き物だけど、どこか愛しいものであること。完璧な人間より、どこかズレてるけどほっとけない愛らしさや、感情の裏表、頭の中の虚構や、真実が混ざりあう表裏一体の、自分の中の世界の「本当のこと」を表現していきたいと思っている。

書くことで、誰かと比較したりされたり、競ったりすることが本当に苦手で、そういう文章を浴びると楽しくいることが出来なくなる。

この感覚を自分で認めるまでに、かなりの時間を必要としました。

それまでは、人の文章を気にして比較ばかりして、自分の表現が許せなくなったり、書くことが楽しくなくなったりで、何度も挫折しかけました。

それでも何かを誰でも書いていい筈だと思っていて、無意味なことにも意味があると信じ続けてきました。

それはやがて、無意味に価値を付けることが出来たら面白いと思うように変換されていきました。

かといって、誰かに自分を理解して欲しいワケでもありません。

自分の文体は、挫折の成れの果てであり、変えよう。変えなきゃ読まれない。変えないと面白くない。そうやって筆を折る手前の境界線をギリギリで耐えてきました。

一時期、人の何かの役に立つこと、誰かに必要なことを訴えること、生き方や経験など、自分には絶対に書けない、ある種の正解のような記事しか目に入ってこなくなりました。

一気に書くことが、面白くなくなりました。

そういうことに全然興味が無いのに、それを書かなければ、ここで書く意味がないのかも知れないという、居場所が無いために無駄な感覚に襲われもしました。

自分という人間の本質は、社会の上っ面で生きていて、曖昧に決断せずに結論を先送りし、その場逃れをしながら、毎日をいかに楽に、好きなことだけをして、ダラダラと生きていきたいことを願う人間であり、そしてそれこそを全うしたいと心から願っている人間である。

理想の生活を掲げるとすれば、毎日違う女性が待つ家に帰りたいと常々友人と理想を語り合っています。

叶わないだろう。けれどもとても楽しそうなので、次の人生では叶えようと思っている。

何か以上にも、何か以下にもなれない。

自分は、自分でしかないので、やっぱりくだらなく存在したい。
そうとしか生きられない。

「楽しい」や「面白い」という言葉は自分で発した分だけ幸せは増えると思っている。

そう思う時間を増やせるのも、誰かに頼るものでなく、自分で動いて形にすることでしか味わえないことだと考えています。

出来ることは限られていて、そして時間も限られている。目の前のことを全力で楽しむ以外は、オマケみたいなものだ。私の場合は、楽しむのもたいてい遠回りだ。でも、その小さなことを楽しむことが好きだし、それを積み重ねることが好きで、それを一緒に楽しんでくれる人達が好きだ。

人間を心の底から信用していない。
簡単に嘘を付き、裏切ることを知っている。
だから人間が好きである。

年齢を重ねて、若い時には納得出来なかったことを、どこか楽しく受け止められて、人に過度な期待をせずに過ごせるようになり、例え裏切られても面白く記せるようになってきたなと俯瞰して、自分を把握出来るようになってきた。

自分が人を裏切らなければ良いと思っている。
そういう人が実際にいることを知り救われてきた。

自分で書く「なんのはなしですか」は、最近ようやく思考と文体が一致し始めてきている気がしている。入口に入った気がする。興味があるのは、自分の頭の中を文体に乗せて表現することだけだ。

日常を文学にしたい。ずっと求めている。

私達が出会っているのは、一つのSNSでしかなく、本当に小さな場所であり、それが全てでも何でもないです。

私の現実では、私が書いていることを知っている人なんて誰もいません。知っていても読む人もいません。

アイコンの自画像で蛇に噛まれ続けて、ついに巳年になりましたが、私自身は何も変わらず、文体や表現はどんどん変化させて遊びたいです。小さなくだらないことで笑わせてください。一緒に笑ってください。それでも変化は勝手に起きます。それを受け入れてより一層楽しむことが出来ればと思います。

それが私は一番幸せです。くだらないことしたなと笑える人生でありたいです。そこしか大事にしてません。読む人口が少なくってきていて、書く人などさらに少なくなっているのに、くだらないことで繋がり出会えた奇跡を楽しみたいです。

それこそが、私の分相応だと思っています。

ここで出会った人達と実際に会って遊ぶには、どうしたら良いのかずっと考えていました。書くのも好きですけど、会って話すのも好きです。生きてるうちにしか出来ないからです。そして、こちらから遠征したい。何かないかなと考えていました。

ふと有料記事を書いて、いただくお金を貯めて、そのお金で色んな人達と会って「なんのはなしです会」として呑んでみたいなと思いました。

それなら有料でも良いかなと思いました。会いたいから面白いものを書く。

普通に会っても面白くない。「なんのはなし」か分からないものを書いて、そこから得たもので会いたい。

それは最高にくだらない。

交通費と宿泊代が用意出来れば、全国呑みに行けるじゃん。全国にこれだけ会いたい、会える人がいるなら行く理由あるじゃん。その行く先々で何かしてもいいじゃん。そして、それをまた書いて楽しんでと。先々で謝罪会見を開きながら、そのフラフラな循環は最高にくだらなくて楽しいなと、ふと思いました。

寅さんみたいになれるじゃんと。

そういう生き方をしたい。

それだけ会いたい人が出来たという幸せです。

何年後になるか分かりませんが、それを実現出来た一杯はくだらなくて最高に美味しい気がします。

年末に友人ポップに仕事をサボりついでに挨拶をしに行ったら、満面の笑みで、お気に入りの夜の蝶のサンタコスプレ写真を見せてくれました。

「これを送ってもらうまでに、いったいどれほどの時間といくら使ったか知ってるか?」

と、今までに見たことのない誇らしげな表情で語っていました。お店に行けば生で見れるのに、そうは出来ないクリスマスのお父さん的哀愁を見せながら、大仕事をやり遂げた男の姿に生き方を学び直しました。

「君への信頼がそんな素敵な自撮りに形を変えて返ってくるなんて素敵なクリスマスプレゼントだな。この次は何を目指すんだい?」

ポップは、真剣な顔で答えました。

「晴れ着だ」

と。

なんのはなしですか

晴れ着を何着でもプレゼント出来るくらい一年かけて費やすのに、晴れ着を期待するポップを一年間しっかりと見届けることにした日を記しておきたくなりました。

今年も、等身大に人間をしてデレデレと楽しく過ごしたいです。
目一杯、二度と集まれない奇跡を楽しんでみましょう。
私に出会ってくれた方々、これからの人生の時間を一緒に面白くしてください。

自分達で人生を面白く出来るのは、幸せなことです。

今年もよろしくお願いいたします。














 

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コニシ木の子
自分に何が書けるか、何を求めているか、探している途中ですが、サポートいただいたお気持ちは、忘れずに活かしたいと思っています。

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