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深層心理探求 僕にとっての「いつものカフェ」

彼との出会いは5年前。
大都市ロンドンで自分の居場所を見つけたような気分だった。

それ以来ロンドンに行く度に必ず彼のカフェで朝ごはんを食べる。
日本からアイルランドに移り住んだ去年の8月からほぼ毎月ロンドンに通う今でも、
ロンドンに滞在中は毎日この「いつものカフェ」に顔を出す。


思い返せばこの場所が自分にとって一番最初にできた「いつものカフェ」だ。

5年前、カナダ留学を終えて2ヶ月のロンドン滞在を経て日本に戻った。
それ以降、地元桑名のナナイロコーヒーさんに通うようになり、そこが地元での「いつものカフェ」になった。


現在住んでいるアイルランドにも「いつものカフェ」がある。
今まさにこの文章はアイルランドの「いつものカフェ」で書いている。

僕が滞在する先々で「いつものカフェ」を持つのは何故だろう。
ふとそんな疑問が浮かんだ。

それは、僕の深層心理がその場所を必要としているからだろう。

では、なぜ僕には「いつものカフェ」が必要なのだろうか。


時間をかけずに考えると、
異国の地で自分を受け入れてもらえる場所は心地よいから?

いいえそれだけではない。
何故なら地元の「いつものカフェ」にそれは当てはまらない。
地元では自分は外国人ではない。

ここで本格的になぜ僕には「いつものカフェ」が必要なのだろうか、という深層心理が気になった。

そこで、自分の深層心理のヒントが見えたらすかさず掴みに行く僕は
自分の深層心理を理解しようとするいつもの作業に入った。


僕にとって「いつものカフェ」とは
・時間があれば1人で行くカフェ
・オーナーと親しくなれるカフェ
・いつでも自分が受け入れられるカフェ

そして、
「いつものカフェ」にしたくなるカフェとは
・日々進化しているカフェ
・良いものにこだわる
・お金儲けが最優先ではない
・人に優しい

これが各所で僕が密かに持っている「いつものカフェ」の共通点だ。

では
なぜ僕には何処にいても「いつものカフェ」が必要なのだろうか。

各所にある「いつものカフェ」の共通点を改めて整理していったら、
人には家の外にも自分の居場所が必要だからではないかと思い至った。

そして僕にとっての居場所とは、
そこに居て安心感を得られる且つ、新たな発見と出会いが生まれる場所であると定まった。

僕は常に自分にとって新しいことに触れ、毎日常により良い自分になりたいと意識している。
それをストレスなく得られるのが「いつものカフェ」である気がする。

これが僕にとって「いつものカフェ」が必要な理由だと思う。

カフェのマスターはいつも同じ人だ。
どんどんその人と親睦を深めて信頼関係を築いていく。

そうすると安心が得られる。

そして、そこには常に違うお客さんが来ている。
すると、カフェのマスターは基本的にみんな(特にマスターにとって良い繋がりになる人)と仲良くなるので、カフェには独特の交友関係ができる。

それがマスター経由でお客さん同士にも広がっていってコミュニティになる。

そして、マスターを信頼できれば、そのコミュニティも信用できる。

つまり、僕自身がカフェのマスターと信頼関係を築くと、
初めて出会う人でもそのカフェでマスターと親しい人であれば信頼できるということ。

初めて話す人は僕にとっては冒険であり、新たな知識や知恵を得られるチャンスです。

冒険とはリスクをおかすものだが、信頼できる新たな繋がりはリスクの低い冒険だ。

カフェをただ単にコーヒーを飲む場所として利用するのではなく(それだけなら自宅で安く、よりパーソナライズしたコーヒーが飲める)、新たな冒険ができる社交場としても利用すればカフェの価値はグッと高まる。

ここまで来て、僕は「いつものカフェ」では居心地よくありながら冒険をしたいのだなとわかった。

今回は僕の「いつものカフェ」のお話なのだが、
抽象化すれば小さなリスクで最小のストレスと共に冒険をさせてくれる場所やイベントって必要だなと再認識した。

職場などでは常に大きなストレスに晒されながら冒険をしています。
だから休日や空いた時間には楽しく冒険したい。

桑名で運営している国際交流イベントのコミュニティも「いつものカフェ」のおかげで3年目だ。
我々のイベントもより小さいリスクでより大きな冒険を提供できるように進化していかなければと改めて気づいた。


深層心理が何かを突き止めるって面白い発見と再認識が得られて楽しいね。

また何か深層心理がわかりようなヒントが見つかったらシェアします。

※この1ヶ月Netflixにだだハマりしたせいで、やると勝手に宣言した毎月自由研究をほっぽり出しております。笑


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