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自己紹介/HSP/HSS型/何者でもない27歳パート主婦がフリーランスを目指すまで
自己紹介/HSP/HSS型/何者でもない27歳パート主婦について
はじめまして
こんにちは!まだ何者でもない「おがさわら かな」と申します。
現在は北海道の地にて旦那様と2人暮らし
結婚5年目 ゆるっと妊活も進めながらパートをして暮らしております。
ある日お知り合いの方にHSPのチェックリストがあるというお話を聞き、私もふとやってみるとほとんど当てはまりました。
「私にはHSP気質があるんだ。」そこからすべては始まりました。
そこから現在HSPカウンセラー、トラウマについてなど幅広くご活躍されている方にお世話になっております。
小さい頃から今まで感じていた
「名前を付けられない不安」「生きづらさ」「人間関係でのモヤモヤ」
「頭の中で言葉が散らかってショートしてしまう」「自分の気持ちをうまく言葉にできない」「入ってくる情報が多すぎると頭で整理できない」
これらはHSPの気質があるからなのだと知ることができました。
HSPに触れることでどこか道が開けたような感じがして、
HSPを知ることで生きやすくなるのではないかと考えました。
HSPという言葉がこれだけ認知されているのは、自分のように悩んでいる人はたくさんいるのではないかと感じるようになりました。
自分のことを知りたい、自分のような生きづらさを抱えている人の力になりたい、自分の好きなことについて追及したいと考えるように。
これがHSPの世界に飛び込むことになった理由です。
小さい頃
小さい頃から自然が大好きで、キャンプや川遊び、山でヘビを追いかけたり弟と木の棒で夕方まで遊ぶのが大好きな野生児でした。
幼稚園の先生からは10本の指に入る脱走犯だと言われるほど(笑
そんな野生児が小学校に入るとどうなるか?
椅子にずっと座っているのが苦痛で仕方なかったので、教室を抜け出して階段裏に隠れていたときもありました。
教室で椅子に座り45分間みんなで同じことをするのが当たり前で、正解で、
先生の思い通りになる聞き分けの良い子が「いい子」。
友達に囲まれリーダーシップを取れるのが「いい子」…。
それまで感じることなかった全く違う環境で育った子たちとの社会。
女の子たちはまだ小さくても、れっきとした女子。
男の子と遊ぶことも多かったためか、「私あの子のこと好きだって知ってるよね?」「調子乗らないでよね」といざこざに巻き込まれたことも少なくありませんでした。
社会人になり
幼稚園の先生になりたくて、保育科の学校に入り、社会人1年目は幼稚園教諭に。
私はそこの園の環境・やり方・ルールになじめず、先生方から孤立し職員室で一言も話せないようになり、先輩への恐怖から「場面緘黙」になってしまいました。
ストレスやプレッシャーから、特定の場面で言葉が出なくなる、思考回路が止まってしまう状態です。
持ち帰りの仕事を自宅に帰って深夜2時までやり、2時間仮眠して4時に作業開始して6時半に家を出るという生活をしばらくやっていると、いつのまにか視界がグレーになり、味覚を感じなくなり、感情がなくなってしまいました。
これが鬱状態なのか、病院で診断を受けていなかったのでわかりませんが、あの時の精神状態は危険だったのではないかと今では思います。
そんな中担任をしていたクラスの子どもたち、親御様、周りの先生方には未熟で申し訳なかったと後悔が残りますが、今となってはあの経験があったからの原動力なのではないかと感じています。
旦那との出会い
1年で限界が来た私は保育所に転職し、人恋しかった若かりし私はマッチングアプリで旦那と出会いました。
出会って半年で結婚し、今住んでいる所に引っ越し、その地の某人気カフェでバリスタをすることになりました。
人気店だったのでマルチタスクに追われる日々。お客様と好きなことについて話すのは好きだったのですが、朝も早く、同時に5~6個考えながらこなさなければいけない仕事量に技量が追いつくことはなく、バリスタパートを退職することになりました。
転職の日々
今まで7年間での仕事は幼稚園の先生、保育所の先生、カフェのバリスタ、
事務員パート、スーパーのパート、ホテル社員と相当な量の転職。
理由は人間関係・仕事量・仕事をやる意味・自分の人生にとっての意味
この仕事をしていて人に誇れるのか・続けていった先は…
などたくさんのことが頭を駆け巡り、長くて2年、1年、半年としか続きませんでした。
当時は「どうして私は皆みたいに仕事が続けられないんだろう」「我慢ができない、忍耐力がないのかな」「甘えなのかな」「社会不適合者なのかな」と履歴書を書きながら相当悩んでいましたが、今となっては理由がわかります。
HSPの気質があるからだと。
色々なことを受け止められる自分だからこその結果なのだと。
「そんなの逃げだ」「HSPに当てはめて現実逃避しているだけだ」
そんな言葉を耳にすることもあります。
ですが、私はそうは思いません。
HSPは神経系の特性によるものだと学びました。
世の中の20%の人がHSPの気質を持っていて、世の中の80%の人に合わせた仕組みになっていると。
今までの生きづらさや、心のモヤモヤは間違いなく私の感情で、この胸の中にあります。それが答えにつながるのではないかと思います。
最後に
私はまだHSPの世界につま先だけ居れた状態なので、まだまだHSPについて分からないことばかりです。
HSP特性を持った自分のことについて全部知りたいし、HSP気質を持った人の悩みを全部解決したいのに、背中を押して生きやすいようにさせてあげるような存在になりたいのに、まだまだできません。圧倒的な力不足です。
歯がゆいし、早くなりたいとも思いますが、それもまた伸びしろだと。
それも含めて自分だと思えるように、楽しんで学んでいけたらいいなと思います。
100投稿後、フリーランスになって、深呼吸をしてのびのび生きられますように。
生きづらさを抱えている人みんなが、のびのびと自分らしくキラキラ輝けますように。
ここまで最初の投稿を見てくださり、本当にありがとうございました!
いつか見てくれているあなたの背中も押せますように。