1/3(月) 新木場ageHaで年越しを
2020年の年末もひどかったが2021年の年末もひどかった。
11月も12月もその後の予定を諦めなければならないようなトラブルが仕事で頻発し、24時過ぎまでパソコンにかじりつく。
新しく入ってきた後輩が「覚えることが大量すぎて難しい、差し込みで入ってくるタスクも多すぎる。どうやって捌いたらいいんですか?」と聞いてきたけどやさぐれすぎて、「私もずっと気が狂いそうだからわからない」と答えてしまった。
2021年こそ落ち着くはずだったのに、いや2020年よりも随分マシにはなったのだけど、それでも結局忙しかった。一対一の面談で上司が「頑張ってるよね自分たち」とつぶやいて、「そうですよね…」と二人で遠くを見つめてしまう。
ようやく仕事の目途がたったというところに今度は親族のトラブルがあり、長らく避けていた実家に久しぶりに帰省することになった。30代は厄年だ、とよく言うが、たしかに10代や20代に比べて問題が深く重くなっていく。あるいはそれくらい責任や矢面を任されるほどに自身が「大人」と見なされる。
数年ぶりに帰省すると家族親族からは私は腫れ物扱いになっていて、「おそるおそる」という感じに話しかけてくるので正直今までで一番心地が良い帰省だった。「おそるおそる」扱ってほしいとずっと願っていた。自分の心の距離はそれくらい空いているのだと。「ここ」に親密さがあると疑わずに接してくるのをやめてほしいと思っていた。そんなことを感じてしまう自分のことがずっと恥ずかしかったけれど、認めてよかった。
帰省からもどって無事仕事納めをして、休みのうちはとにかくひたすらに懇々と寝ていた。
12月31日だけ、22時過ぎに家を出た。新木場のageHaに向かうためだ。「人生で一度はageHaに行ってみたい」と思っているうちに、会場のスタジオコーストが2022年1月で閉館してしまうと知って、チケットを取った。眠すぎて、バックレてしまおうかと一瞬逡巡したものの、新木場へ向かう。
閉館のニュースを受けてかあるいは常時なのかは知らないが、会場に来ている人たちは予想よりもジャンルも年齢層もバラバラで、初見から常連までごった混ぜのような雰囲気で過ごしやすかった。前列で踊る人たち、後列の気だるげな人たちを見たのも久々だった。
ディズニーリゾート、ライブ、卒業式、結婚式といった「一体感」の伴うイベント空間は軒並み不得意なのだけれどクラブだけは別だ。きっと心がバラバラで良いからなのだと思う。気乗りしなければ後列で見ていれば良いし、音楽を聴きたいなら前列に行けば良い。ナンパしよう/されようと、別の目的の人たちがいるのも良い。人混みを通り抜ければところどころで幽霊屋敷のように手や肩をつかまれる。「楽しんでる?」と突然聞かれ「楽しんでる」と答える。そういう猥雑さがほっとする。品行方正な空間の静かさのほうが、どうしてか苦しくて痛い。
朝までいても良いとも考えたが、疲れが残っていたのだろう、0時を過ぎたら早々に眠くなってしまい、会場を出てタクシーに乗り込んだ。ageHaに来たのも、タクシーで帰るのも、今は亡き雨宮まみの影響だ。彼女はどんな風に思って、何を感じて過ごしていたのだろう、と想いを馳せるが、直近の考え事がノイズのように混じってきて、深夜の東京に浸るまでもなく思考が忙しい。
昔の職場で同僚が「宇多田ヒカルは神様だから」と言っていたのを思い出して、BGMがてら宇多田ヒカルを再生する。どこか居場所のなさを持つ大人の女たち、に手を引かれて生きてゆく。
今年はどんな年になるだろうか。