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泣いてる子どもを連れた母親に怒鳴ってる人を止めに入ったら、ちょっと後悔した。

 

 つい最近のことですわ。
 
 近所から少し歩いたところのインドカレー屋さんで、昼食にインドカレーとチーズナンを食べてラッシーまで飲み倒し、食後にネパール人の店員さんと他愛ない会話をしていたら、外からガキンチョの泣き声が聞こえてきた。怪獣みたいな声で一瞬「なんやなんや?」って気になったけど、小学校も幼稚園も保育園もある地域なので「活気ええやん」と思った。

 会計を済ませて店を出ると、表通りでは盛大にギャン泣きしている子どもと、その子と同じ目線まで膝をついて優しく微笑みながら諭すお母さんがいた。

 子どもの年齢もまだ未就学児くらいだろうか。デカめのナン(インドカレー屋さん恒例のクソデカナンほど)と大体同じくらいの大きさで、顔を真っ赤にして、嗚咽を漏らしながらほぼ喃語みたいな声で大粒の涙を流している姿はちいかわみたいで可愛かった。
 必死に泣いている子どもを見ると、なぜだろう、真剣に話を聞いてあげなければならないのに、笑いながらほっぺをこねたくなる。ナンでだろうね……。

 お母さんもあたいより少し歳下くらいの若い人だった。近所のスーパーからの帰りだと分かる、大きな買い物袋を携えていた。

 それを見てあたいは、

「(自分にもあのくらいの年齢の子どもがいても不思議じゃないんだよなぁ。でもあたいはゲイだし、代理出産は反対の立場だし、自分の家に養子を受け入れるつもりも無いから一生子どもと暮らす事はないけれど、すごいなぁ全国の親御さんは……。まずケツから別の命の人間を出すことがすごい)」

 だとかそんなことを考えながら、なんとも思わずにその光景を一瞥していた。


 するとちょうどその場を通った高齢のわりと小綺麗な格好をした男性が、見るからに怒気を孕みながらズンズンと母子の方へと歩みを進めるのが視界の端に入ってきた。あたいを含む他の歩行者数人は「あっ、あれはなんかやばそう」という固まった表情のまま一気にそちらに視線が集中した。


「やかましい! ガキ泣かしてヘラヘラすんな! 黙らせろ今すぐに! 昼やぞ!」

 嫌な予期は的中した。高齢男性は、人ってそんなに急に大声出るの? ってくらいの盛大な怒号を座り込んでいる母子に浴びせた。怒鳴られた二人はビクゥっと体を震わせて、子どもは口をつぐんでお母さんに抱きつき、お母さんは目を伏せながら黙った。


「ええ〜!?」

 あたいはその状況にびっくりしちゃって、怒りか戸惑いかは分からないけれど声が出ちゃった。その時のあたいは結構ホゲてた(いわゆるオネェ的なトーン)と思う。

 そこは商店街の横道だったので、車通りも少なく、住宅もほぼ無い。

 母子はシャッターが閉まったなんかの店の前で、できる限り隅に寄って通行人の邪魔にならないようにしていた。そもそも通りはそこそこ広く、車が交差しても問題ない幅もあったし、母子が屈んでいた場所も通行を阻害するような場所でもなかった。泣き声が聞こえたのも数十秒前のことだったので、ずっとその場で泣かせていたわけでもない。

 それに子どもの癇癪を完全に制御するなんてどれだけ凄い親であっても不可能だ。相手が大人であっても他人の感情なんてコントロールできないものなのだから、子どもなんてなおさらのこと。思慮深く考えれば分かることだろう。


 さらに言えば、子どもの駄々を一旦あやせば、親子がその場を離れることは誰の目から見ても一目瞭然。仮に通行人も「うるさいなぁ」と思っても通り過ぎればすぐに泣き声は耳に届かなくなるだろう。

 だからあたいは驚いた。電車などの密室・密閉空間で泣いている赤子に怒鳴る大人の話は聞いたことあるし、舌打ちしてる大人も見たことがあるけれど、こんな小路の通りすがりに母子に向かって声を荒らげて詰め寄る大人の存在に、あたいは心底びっくりしたのだった。


 あたいの声や周囲の視線を受けてか、高齢男性は一瞬母子に背を向けてどこかに立ち去ろうとしたけれど、母子の謝罪が無かったのが気に食わなかったのか、それとも怒ってしまったことでヒートアップしてしまったのか、すぐに踵を返して再度母子の方へ歩み寄り「あのなぁ」と静かにキレた口調でぐんぐん近づきなおした。

 あたいは「(うわあの人殴りかかるんじゃ)」と思った時には体が動いていて、母子の前に駆け寄り、高齢男性の前に立ち塞がると「なんですの?」と間抜けに問い質した。

 本当はこういう時「やめろ」とか「離れなさい」と注意喚起するべきなのだけれど、あたいから咄嗟に出た言葉は「なんですの?」だったので自分自身でも「(なんですのってなんやねん。しかもこんなの相手からすればお前誰やねんって感じやろ……)」と思ったけれど、まぁ緊急のことだったのでとにかくあたいが仲裁に入らなきゃとーーいや、仲裁というより、守らなきゃと頭で考えるより体が動いてしまったのだ。あたいってば漫画の主人公みたいなムーブかましとんなと自分でも思った。

 ただ漫画と違って、こういう出来事に首とつっこむと大抵は痛い目を見る。あたいにも散々経験がある。自転車で転んだ高齢者を助けようとしたら、何故かあたいが加害者扱いされて叱られたこともあった。でも、あたいは出しゃばりなのでつい口出ししてしまうのだ。こういう無鉄砲に首を突っ込んでしまうあたいのお節介さが鬱陶しい人間もいるんだろうけれど、あたいは構わなかった。

 今回もそんな感じで、もう殴られる覚悟で高齢男性の前に介入した。腹以外なら殴られても構わなかった。腹はカレーとナンでいっぱいなので、そこ以外ならなんとか我慢できると思った。いや書いてて思ったけど顔も殴られたくないかも。何故ならあたいの顔面は美しいので。


 するとその男性はあたいのことを見ながら「あ?!」と凄むと、そのままこちらに背を向けて、

「お前が注意しとけよ!」


 とあたいに指示を出してどこかに去っていった。

 当初は意味がわからなかったけれど、目下の人間に高圧的な上司みたいにあたいに対して母子を注意しろと投げつけて、悪びれることも謝ることもなくどこかに行ってしまえるんだから、まったくもってすごい思考回路だなぁと感じた。でもそれは流石に口に出さず、黙ったまま彼の背中を見送った。

 もうこちらには戻って来ないだろうな、と判断できたところで母子の方にきちんと目をやった。子どもは意外と泣いてもないし、ぐずってもなかった。ただ母親に抱きしめられて「何事?」って顔をしていたので、怯えないようにお母さんが視界を塞いでいたのかもしれない。

 けれど子どもは静かに心に蓄積する生き物だ。語彙も少なければ感情表現やコミュニケーション内でのリアクションの機微にも乏しい。静かに傷ついたり、無表情のまま恐怖を感じていたり、無自覚にトラウマを宿すこともある。

 かわいそうに、大丈夫? と言おうと思ったあたいだったけれど、咄嗟に出た言葉がこれまた「すんません」だった。なんで謝ったのかあたいも分からんけど、高齢男性に詰め寄られた女性の前にまた男性が現れて立ち塞がっているのだから、少なくとも警戒と恐怖を与えている可能性があると思ってのすんませんだったのだと、今では自身の行動原理を推測して言語化できる。男性恐怖症の女性と関わったことがあるので、なんとなくあたいはデケェ成人男性は怖がらせてしまうかもという意識で生きているのだ。ちなみにでかいとはあたいの志と心とヒップの話だ。


「いやいやいや! お兄さん、こちらこそですよ! ほんとごめんなさい!」

 お母さんも思ったより明るく、涙を堪えたり恐怖に震えている様子もなく、またホッとしたような様子もなく、平常時の社交辞令のように頭に素早く頭を下げた。謝る必要無いのに、と思ったけれど、こういう時には感謝よりも謝罪をした方が穏便に済むことを知っているほど傷つく経験を持っている人なんだろうな〜と思いながら、あたいは「あなたは悪くないでしょ〜」と返した。

 ふと振り返ると、ネパール人の店員さんも店から出てきて、高齢男性が去った方を見つめていた。道ゆく人も「何かあったの?」みたいな表情でこちらを眺めながら歩いている。

 あたいは「じゃあ気をつけて」と言って、その場を去ろうとした時、その母子のお母さんがあたいの方を見ながら、

「お兄さんも気をつけてくださいね、あの人、このあたりで何度か見たことある人だから」

 と言ってくれた。


 その時、あたいはなぜか世界がスローになった気がした。

 そして母子の母親の、本当にあたいを心配するような目と、黙ってじーっと無表情のままこちらを見つめる子どもを見て、思い至った。

 ーーあたいは、二人を助けたんじゃない、ただ止めただけなんだ、と。

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ここはあなたの宿であり、別荘であり、療養地。 あたいが毎月4本以上の文章を温泉のようにドバドバと湧かせて、かけながす。 内容はさまざまな思…

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