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怒られて、いじられて、説教されるのが好き


 あたいは根が調子乗りで偉そうなため、他人に対して出過ぎた説教やお節介を焼き回る時がある。これは「よく気がつく」とか「良い意味で完璧主義」という類の能力から表れる行動ではなく、ふつうに思ったことをすぐに口に出してしまう辛抱の無さと、「指摘はいつだって正しい」と信じてやまない配慮不足から起きているだけの、未熟さである。あたいはまだ青い果実なのだ。(山口百恵であるという意味ではない)

 そのため高飛車で尊大でリーダーシップを持ちたいような人間なのだと勘違いされてしまうが、その実めちゃくちゃ下っ端気質というか、「誰かの下で動きたい」「生業には上司や店長がいて欲しい」と思う人間なのである。永遠の二番手から四番手くらいでありたい。

 だけれど完全に相手に仕えて言いなりになることや、何から何まで指示されることは苦手だし、誰かに滅私で奉仕・奉公できるほど自我を制御することもできない。誰かの右腕なんてまっぴらだ。あたいのお手手はあたいのものだい。

 つまりこの「誰かの下で働きたい」という考えは紐解いてみると、ただ「自分の尊敬する人間の下で自我を許容されながら好き勝手に動き回りたい」ーー「責任も自我も許されたい」というものでしかないと気づく。

 これは「親や教師の庇護下のもとで安心して暴れたい」「文句を言ってガス抜きはするけど責任を取らない立場の安心性からは離れたくない」と考える未成年の幼稚な精神性とほとんど変わらず、その対象を為政者や配偶者や上司に変えているだけで大人だって同様のものを持っていることは少なくはない、とあたいは個人的に感じている。肉屋の豚、と言うのもこの本質から変わりないかもしれない。

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ここはあなたの宿であり、別荘であり、療養地。 あたいが毎月4本以上の文章を温泉のようにドバドバと湧かせて、かけながす。 内容はさまざまな思…

今ならあたいの投げキッス付きよ👄