見出し画像

あたいは子どもを可愛いと思わないけど、そんな自分に嫌気は差さない。





あたいは子どもを可愛いと思わない、子どもはすぐ死ぬ。



「子どもや赤ん坊を見て、可愛いと思わない人はどうかしてる。心が無い」


 という世間の常識や感覚に対して、あたいはあんまり共感してないし、同意していない。

 たしかに、子どもや赤ん坊、あるいはその親に対して、聞かれてもいないのにわざわざ「自分は子どもが嫌いだ」と伝えたりする人は、冷たい人間だと非難されてもおかしくないわな。

 面と向かって相手のことや、相手が大事だと思う人やもののこと、相手が持つ属性を嫌悪することはダメだわ。たとえ言い方や表し方をどう工夫しても、表に出した時点で波風が立つし、相手を傷つける。どんな場合においてもそうだ。だから思っていても言うべきではないことだと思う。

 ましてや、その属性を持つ当事者ーー子ども達には、“子どもであること“で誰かから直接、嫌悪を向けられる謂れなどないのだから、絶対にこんな言葉を子どもの前で口に出してはならんわな。

 もし、子どもの前で「子どもが嫌いだ」って言ってる大人がいれば、それは子どもが自分より弱い上に、繊細で傷つきやすいことを期待して言っているだけの、心の弱い人なんだろう。大人相手に言葉にすると愛想を尽かされたり相手にされないのが怖いから、反応しやすい子どもに自身の欲求を向ける人なのだ。

 そんな大人の駄々は、自分か、あるいは大人同士で解決すべきであって、子どもには向けるべきじゃないとあたいは考えている。

 だけど、相手が大人であり、さらに「誰だって赤ちゃんを愛おしく思うはず」とか「大人ならば子どもをどんな時でも庇護したくなるだろう」という前提で話を進めている際に、それを指摘する形で「そうではない人もいる」と伝えることが目的なら、この言葉は意見として成立するだろうと思う。

「子どもに対する寵愛や庇護欲は、人間ならば本能的に必ず備わっていて、常識であり、疑いようのない真実だ」と信じている大人は多い。それはそうでない人にとっては誤解だし、そのまま話を進められても困ることも出てくる。

 もちろん大人の対応として、子どもが好きなフリをして受け流すこともできるけれど、その価値観を持つ相手が身近な人間であればあるほど、嘘をついているといろいろと苦しくなることもあるだろう。

 だから、相手の価値観を否定する目的じゃなく、相手の価値観が想定せず取りこぼしている人間がいることを示す意味で「自分は子どもを可愛いと思えない」「子どもが可愛いと思えない人もいる」と伝えるのなら、それは互いの価値観を尊重し合うきっかけにもなる、とは思うのだけれど。


 でも現実問題、「子どもが好きじゃない」という考えは、そう簡単には言えやしない。

 たとえば、「大人なら〇〇を愛おしく思うはず」ーーここに入る言葉が子ども以外ならば堂々と「そんなの人それぞれでしょ」と言えるのに、なぜかここに「子どもや赤ん坊」が入ると、表立って「自分は違う」と言うことが憚られてしまう。


 それは、もしも否定すれば、冷酷な人間だとか、人の心が無いとか、大人としてちゃんと成熟していないとか、あるいは「まだ家庭を持っていないからだ」「子どもを産んだことがないからだ」「人を愛したことがないからだ」というように、まるで“人として必要な要素や経験を欠いた未熟者“として扱われるからだろうと思う。

 ちなみにこの際に指摘される「人を愛した経験」とは異性のことで、異性の他人を愛した先には必ず出産があるものだ、という頑なな信念からこの言葉は投げかけられる。

 人にはそれぞれの人生設計やペースがあるし、そこに基づく価値観は数多あるのに、「子どもが好きじゃない」という価値観だけは、「成熟」や「加齢」を受け入れずみっともないもので、「経験」や「覚悟」が足りない証拠とされ、挙句、そんなこと言うべきじゃないと叱責されたり、未熟だと呆れられるのだ。


 でも、そうやって“大人ならば乗り越えるもの“として、子作りという不可逆なものを無理に人生に組み入れさせると、産ませたり産んだとしてもやっぱり愛せなくて、自分の子どもであっても煩わしくて、向き合うのも苦しくて、後悔することだってあるんじゃないかな。

 中には後悔してでも育て上げる人もいるけど、親だって人間だから育てられないこともある。でも育てられないってなった時に、「産めば変わる」って言った人は、きっと面倒も見てくれないし、後見にもならない。

 だから「とりあえず経験してみれば変わる」って安易な考えは無責任だとも思うのよね。変わらねぇものは変わらねぇし、子どもが好きじゃない人は子どもを作ってはならないよ。少なくとも18年は自分と子どもに嘘をつくことになるから。

 余計なお世話だろうけれど、虐待サバイバーのあたいが言うんだから間違いねぇ。ガハハ。



 そして、たとえ「子どもが好きじゃない」と言っている人間であっても、その中にはさまざまなレイヤーが存在していることは見落としちゃならない、ってことを付け加えておきたいですわ。

 多くの人や常識が期待する「子どもや赤ん坊への無償の愛」「本能的な養護欲求」には当たらないけれど、それでも子ども達に対する感情や距離感、それこそ愛情の形もそれぞれに存在していると思う。

ここから先は

12,305字

ここはあなたの宿であり、別荘であり、療養地。 あたいが毎月4本以上の文章を温泉のようにドバドバと湧かせて、かけながす。 内容はさまざまな思…

今ならあたいの投げキッス付きよ👄