【小説】ゲイ、異世界転生してゲイバーを開く(3/3)
前回2話目
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ええ、そうですね、数値も大丈夫そうですし、概ね回復したと言っていいでしょう。
よくがんばりましたね。
お酒を出すお仕事をされているのに、ちゃんとここまでお酒を飲まずにやれましたね。
きっとお客様と、あなたが雇ってる従業員さんがあなたのことが好きで、ずっと優しく気遣ってくれていたんでしょうね。そうじゃないと絶対に叶わない状況でしたよ、治療のための断酒なんて。
え?少しは飲んだ日もあった?
……聞かなかったことにしておきますね。
それではこれからも定期的にお話を聞きたいので、またいつでもいらっしゃっていただければと思います。
え? せん妄や幻聴について?前にお伝えしました通り、私の意見は変わりませんよ。まるで人がモンスターみたいに見えたとしても、それが“特定の場所に行った時にいきなり見えるようになった“というのはあまり例にないです。
これはむしろ「そう見えたから見えた」のではなく「そう見たいから見た」と思った、ご自身の捉え方かと感じました。
お話を伺った時にも考えたのですが、あなたはあの日、あの街にいた一週間の、その一ヶ月前に。
肉親にも近い上司をーーお店の先代のママさんを亡くされているんですから。
死という概念を否定したい気持ちと、自分も死にたいと思った気持ちが入り混じって、そこであなたの中にあった知識と帳尻が合う形で結びついたんだと思います。
そう、異世界転生、という形で。
それよりも幻聴としては被害妄想の声の方がそれに近いと考えています。
つまりあなたが、あの街に行く前に聞こえていた声。
お店のお客や同業者や従業員、みんなから「お前が死ねばよかったのに」と言われていたと感じていた、その時の声こそ、あなたの症状だったんです。
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それからの一週間、本当に大忙しだったわ。
魔女さんは相変わらず何を考えているかわからないけれど、ずっとアタシのことを見守ってくれていて、ご飯だって作ってくれた。ポテサラに肉じゃがにたこ焼き。ああ、たこ焼きじゃなくて卵焼きって言うんだっけ。まぁ店のお通しの余り物だったらしいけど。でもアタシの分を必ず別にしておいてくれた。
お客様もみんな優しかった。エルフ族の悪役令嬢と口喧嘩したら認められたり、定時退社になったガーゴイルが早い時間から通い詰めてきたり、近くの大学のラグビー部だというオーク集団とカラオケを歌ったり、スーツを着たゴブリンは見た目こそ悪者だけどいい人たちばかりで、威厳のあるドワーフも話を聞いてみれば恐妻家に怯える人だった。あとガーゴイルは毎日いた。パーティーを追放されたからって毎日スナックはどうなん?って思ったけどヤボだから言わないようにした。
そして、一週間の最終日になった。
店のオープン作業をしていると、魔女さんが封筒をそっと手渡してくれた。
「これ、一週間分のお給料。ありがとうね、助かったよ」
「え? でも……まだアタシ働きますよ? 全然終身雇用でも大丈夫ですって」
アタシは冗談まじりに魔女さんに返した。彼女の目を見ることなく、ひたすら洗い物をしながら、笑って返したのだ。
「あんたさ、元いた世界に帰ろうと思わないの?」
魔女さんはタバコに火をつけて、アタシの話なんて聞かないでさ、そう問いかけてきた。
「……思わないよ、だってアタシ死んじゃったもん。向こうの世界で、お酒で失敗して、死んじゃった」
「……あんたは、生きてるよ」
魔女さんの淡々とした言葉に、アタシは嗚咽を漏らしそうになるのをグッと堪える。
「死んじゃったんだよ。だって、お酒で、お酒で生きて、お酒で生かされる仕事してきて、それしかできないのに、アタシが、アタシが殺しちゃったんだもん、ーーママを」
堰を切って溢れたように堰を切ったように、言葉が溢れた。
ママ。
そう、先代ママ。
死んじゃった先代ママは、生前は若くして膵炎で倒れ、それから何度も入退院を繰り返すうちにお酒を一滴も飲めなくなってしまった。だからアタシに自分の店を譲渡した。
本当は彼自身が生涯ずっと店に立つべきだった。彼自身もそれを望んでいた。でも彼は一滴でも飲めばもうダメになってしまう状態まで陥ってしまったのだった。彼自身も「水商売ができない」という虚脱感と絶望感から床に伏せていた節があった。
そして、あの日は、ママが昔からずっとお世話になっている大御所さんが店に来た日だった。ママがママになる前、ゲイバーで店子を始めた時からで通算13年。長い付き合いのある関係だったようだ。そのお客さんはとにかく豪勢に飲み、太っ腹にお金を使い、大枚叩いて店を支えることを本望として飲みにくるお客さんだった。
ママは店も休みがちで、アタシがずっと切り盛りする形になっていたけれど、その日は大御所さんのためにママも早い時間から出勤してくれていた。やっぱりアタシなんかがママなんてできない、ママの隣に立ってこそアタシはアタシなんだなって感じていた。
あの日は、確か夜12時を超えたあたりですでに、店にあったベルエやドンペリといったシャンパンメニューの在庫が底を尽きた。他のお客や大御所さんの連れていた子に多めに振る舞ってもシャンパンは減らなかった。アタシも死ぬほど飲んだ。もともとそこまで飲める方じゃなかったけど、ママと大御所さん両者のメンツを思って飲んだのだ。
すると周りが泥酔し、トイレで吐く店子やお客さんも連続した頃、それまでノンアルドリンクで接客についていたママが、「これだけは、これだけは飲むわ」と言って、形だけで注いでいたママ用の数多のシャンパングラスに手をつけ始めたのだった。なぜそうやっていきなり飲み始めたのかはわからない。他の酔っ払いが囃し立て、大御所さんや別卓のお客までもコールして煽る。ママはそれでもお酒を飲み干そうと必死になった。
アタシは、アタシはどうすればいいかわからなくなって、ただママの横顔だけを見つめていた。止めることも、盛り上げることもできない。店子として人としても失格だった。
アタシは本当なら水を差しててでも、お客の反感を買ってでもママを止めるべきだったんだ。
ママのお酒の飲めない寂しさ、苦しさ、居た堪れなさをアタシだけが気づいて止めてあげるべきだったんだ。
止められる人間だった。
そんなくらいで壊れるわけがない信頼関係があった。
だからアタシに、命より大事なお店を引き継がせてくれたはずだったのに。
「ーーママは、ママはその日、死んだ。ダメって言われていたお酒を飲みまくって、アタシだけは隣で止められることもできたのに、止められなかった。わかんなくなっちゃって、死ぬまで飲ませちゃって、それで」
涙が、洗い物の上に落ちて溶けて広がる。
「アタシが、死ぬべきだった」
すると、下を向いていたアタシの視界に、そっとママの手のひらが伸びてきた。
古い傷だらけの、手のひらだった。
「……あんな、この街で、いっぱい人が死んで、取り戻そうと必死になったけど、取り戻せんかった。私も大事な人が死んだ。街におるだけで今もその人との関係、ぜんぶ思い出す。顔もはっきり思い浮かぶ、声も、何を喋ったのかもわかる。なんでかわかるか」
アタシは涙でグジュグジュになった顔で答えた。
「大事な人だから……?」
ママはじっとこちらを見た。
「私が、生きてるからや」
「思い出すのも、考えるのも、感じるのも、生き残った人間にしかできへん。そんで生き残ったら嫌でもそれをせんなあかん。再生や、街も人も再生するし、記憶も再生する。それが生き残るってことや」
ママがそう言って、アタシの手を握る。あたたかい手。シワが刻まれた細いのに厚い手。
すると店の扉が鈴の音を鳴らしながら開いた。入ってきたのは骸骨さんだった。一瞬彼もギョッとしたけど、アタシたちを見て、すぐに微笑んだ。
「行くんか?」と骸骨さんは問う。
今度はアタシはちゃんと笑って返した。
「うん、帰るよ」
骸骨さんは少し残念そうに下の方を見た後、アタシの余った方の手を握って、それから、
「先週、あの日な、お兄さんに会った日、ほんまにびっくりしたんや。息子にそっくりやったから。墓参り行って、その帰りにそっくりさんに会うねんで? 思わず生き返ったんかと思って『ゾンビかと思った』って言うてもたわ」
と話してゲラゲラ笑う。
「そう……グスッ、……アタシも骸骨の化け物に見えたからおあいこよ……」
アタシが強がってそう返すと、アタシの手の甲を叩いて骸骨さんは笑った。
「これも全部、縁や、縁なんやで。偶然じゃない、息子そっくりなお兄さんがここに来たことも縁なんや。ここにいる3人は全員血も繋がっとらん。元夫婦でもな、そこに血の繋がりはない。当たり前やな。でも縁はできる。不思議やろ? 縁は消えへん、大丈夫なんや。だからな、またおいでな」
途切れ途切れに言いたいことを言い切る骸骨さん。
そして魔女さんがアタシの手をグッと握り返した。
「またおいで。神戸に」
◆
封筒に入ったお金で、コンタクトレンズを買って、それから切符を買った。
やたらガタイのいい駅員が、一瞬アタシの方を見て少し訝しんだ顔をしたけれど、アタシは堂々と自動改札機を抜けて、新神戸のホームに向かって登って行った。
吹き抜ける風は青い。緑は山に伸び、海と空はすぐそこに広がる。
震災を迎えたのちに、再生した街、神戸。
アタシも再生した街になった。
だけど分かっている。
いくら強がっても戻ってこないものは戻ってこないし。
いつかアタシも思い返せなくなる日が来ることを。
それでもアタシはそれまで生きる。
縁を、記憶を、この世界に残して、生きていく。
ーー遺世界転生
終わり
今ならあたいの投げキッス付きよ👄